虚ろの神子 11

 一通り着替えを済ませると、リューグたちは順に街へ繰り出した。酒場の客に紛れて一人ずつ外へ抜け出し、指示された場所で落ち合うことになっている。リューグにとっては久方ぶりに浴びる陽の光だった。とはいえ、暢気に散歩できる状況でもない。
 初めて歩く昼間のアンヘルは賑やかだったが、人々の間にはどことなく陰鬱な空気が漂っていた。各地の災害は王都の物流にも確実に影響を与えているようで、露天に並ぶ品々には隙間が目立っていた。一部の作物は値段が高騰し、質の悪いものを混ぜて売っている店もあるようだ。立ち寄らなくともそうと知れるのは、店先で口論している者たちをしばしば見かけるからである。それでも、人らしい生活を送れているなら恵まれた方ではないか――誰に言葉を投げかけるでもなく、リューグは胸中でそう独りごちた。
「誰にも見つからなかっただろうな」
 脈絡なく掛けられた声に、無言で頷いた。何気ない風を装って先に指定場所に来ていたカミルとシェーラに合流する。頭巾付きの外套をしっかり着込んでいるので顔は見えないはずだ。出かける前に二人がかりで灰をはたかれたため、神子の特徴として知られている青い髪も白っぽくくすみ別の色に見える。時間が経てば落ちるだろうが、頭巾と合わせればまず分からないだろう。この格好自体が怪しまれるのではと思っていたが、人混みに紛れれば案外似たような出で立ちの人間はいるものだ。街に漂う陰気さにはむしろ似合いとも言える。これなら教会といえど一人一人の顔を覗き込んではいられないだろう。
「で、どこに行くんだよ」
「東門だ。フェリスへ向かう隊商に渡りをつけてある。護衛の体で同行する。急ぐぞ」
 早口で呟くように告げると、こちらの顔も見ずに歩き出した。シェーラがそれに続いたので、仕方なしにリューグも後を追う。
「フェリスって確か王都の次くらいには大きな街だろ。隠れるのにそんなところでいいのか」
「木の葉を隠すなら森の中、ってことね。それにフェリスは商人ギルドの力が強いから、王都ほどには教会も好き勝手できない……はずね」
 シェーラの言葉に、そんなものかとひとまずリューグは納得することにした。外の世界の知識に乏しいリューグだったが、フェリスの名くらいは知っている。王都に次ぐ大都市でありあらゆる品が売買される交易の街、という程度のものではあったが、説明と矛盾はしない。それよりも、どこか含みのある口調が気になった。僅かではあるがささくれた気配を感じさせるような――気のせいだろうか。言葉にならない違和感を持て余すうちに、再びシェーラが口を開く。
「門は封鎖されてないのね。神子追うのに真っ先に逃げ道を塞ぎそうなものだけど」
「流石に街の権限全てが教会にあるわけじゃない。やろうとすれば必ず王の耳に入るだろう。神子の不在を知られるのは都合が悪いから慎重なんだろうさ。検問は厳しくなってるし、時間の問題だろうが……ところでリューグ、お前馬は乗れるか」
 藪から棒な質問に、リューグは目を瞬かせた。馬、というと街で車を牽いていたりするあの馬か。
「護衛の体でって言っただろ。それらしくできないと怪しまれる」
「乗れるわけないだろ。殆ど外に出ることもなかったのに」
「ちなみに私も無理だから」
 横から便乗するようにシェーラも言い、カミルは苦虫を噛み潰したような顔で舌打ちした。
「シェーラはまだしも、お前は神子だなんだと持ち上げられて乗馬の一つも出来ないのか。よくそれで尊い方との婚約が成立したもんだな」
「知るか、そんなこと」
 必要に迫られたこともなかったし、そもそもなぜ王女との婚約の話が出てくるのか。言い返したいことは山程あったが、一言に留めてリューグは言葉を呑み込んだ。目的地である東門が見えてきたからだ。正確には、そこに続く大行列が、と言うべきだろうか。
「人が多いわね……」
 シェーラがうんざりとした口調で漏らしたのも無理からぬ話であった。城壁に大きくくりぬかれた東門はカミルの話通り開かれていたが、格子を下ろす代わりに人間を詰めて塞いでいるのかと言いたくなるような有様だった。よく目を凝らすと、門のすぐ手前で商人と兵士が何やらやり取りをしているようだった。検問に時間を取られ、アンヘルを脱出できない商人たちが列を成してこうなったようだ。
「先に向こうと話してくる。俺が戻るまで動くなよ」
 短く言い残すと、カミルは器用に人混みの隙間を縫って駆けていった。手持無沙汰になったリューグたちは道の端に寄り適当な段差に腰を下ろした。カミルが戻るまでは辺りを観察するくらいしかやることはなさそうだ。待ちくたびれた風に座り込む連中が他にもちらほらいたので、目立つこともないだろう。そう思っていると、不意に通行人の会話が耳に入った。
「結局、魔女ってのは何だったんだ。作物の高騰は止まらないし、家族からの便りは途絶えるし、災いから救うなんてやっぱり嘘だったんじゃないか」
「滅多なことを言うなよ。神子様の奇跡は見ただろう。きっと少しずつ良くなっていくんだ」
「しかしだな――」
 若い男二人組は、身を固くしたリューグに気付くことなく通り過ぎていった。無意識に詰めていた息を細く吐き出すと、横からシェーラがさりげなく頭巾を引っ張った。
「街の大体がああいう反応。神子に対しては半信半疑ってところかしらね。顔まで覚えてる奴は少ないだろうけどこれはしっかり被って。その上でもう少し自然に振舞いなさい。じゃないと目立つ」
 些か無理のある助言に思えたが、リューグは黙って頷いた。ぎこちなく見えたのなら緊張が表に出ているのだろう。少し前までは閉ざされた部屋だけが世界だったのだ。街を歩き、更にその外へ行こうというのだから気が張りつめるのは当然だ。だが、彼女の言うとおりに無理やりにでも慣れてしまわねば。万が一ここで騒ぎになったら堪ったものではない。
 カミルは程なくして戻ってきた。急かされながら合流した隊商は想像していたより大規模で、数十人の商人たちが馬車に荷物を積み込み顔を突き合わせて話し込んでいる。自然に振舞う、と胸中で繰り返していたリューグであったが、実際のところは商人たちとは言葉を交わす暇もなく馬車の一つに押し込まれてしまった。幌に覆われた荷台は既に麻袋やら木箱やら諸々がところ狭しと詰め込まれていて、リューグとシェーラは辛うじて残されている隙間に身を捩じ込むしかなかった。
「王都を出る前に窒息しそうなんだが」
「仕方ないだろ。馬が無理ならそこしかないんだ」
 対して、カミルは栗毛の馬の手綱を引いていた。彼の方は馬の扱いも慣れたものらしく、栗毛はよく従い嫌がる様子もなかった。少なくとも荷に押し潰される心配はカミルにはなさそうだ。つい溜息を零すと、それを見とがめたカミルが人差し指を口元に当てて制した。
「反抗的な言動は慎めよ。折檻の内容まで考えなきゃいけなくなる。いいか、お前らの扱いは『商品』だ。とにかく大人しくして、従順に振舞えよ」
「……は?」 
一瞬の後に『商品』の意味を察し、リューグの中に猛烈な反発心が沸き上がった。方便と理解していても耐え難いほどの嫌悪感に見舞われる。冗談じゃない、と食って掛かる寸前、シェーラが先に声を上げた。
「最悪。後で殴るから」
「はいはい、後でな」
 短いながらも明確な怒気を孕んだ言葉を受け流し、カミルは離れていった。ほぼ同時に横から盛大な舌打ちが聞こえたが、一呼吸分の間を置くとシェーラは平静を取り戻したようだった。
「癪だけど、言う通りにしましょう。今はね」
 後で覚えてろ、という言外の台詞に、リューグは深々と頷く。これに関しては確実な連帯感が生まれていた。シェーラも商品扱いに嫌な思い出があるのかもしれない。
 ――シェーラ『も』?
 思考過程で、リューグはふと違和感を覚えた。まるで自分にはそれがあるかのような言い回しだ。教会での生活は窮屈で身の置き所がなく、時に腸が煮え返ることもあった。だが今の状況と重なるかと言えば首を捻る。しかしそれ以外にリューグに思い当たる記憶はなかった。自分の意志を介さず都合よく扱われる、という点が共通するからだろうか。どうも腑に落ちない気がするが――。
 考えているうちに荷台が大きく揺れ、身構えていなかったリューグは木箱に後頭部を打ち付けて呻き声を上げた。検問の列が動き出したのだ。
「……大丈夫?」
「全然心配してないだろ、絶対」
 気遣っているようで、シェーラの声は笑いを含んでいた。軽く睨みつけるとわざとらしく目を逸らす。更に言い募ろうとすると再び荷台が揺れ、リューグは今度は手をついて身体を支えることに成功した。今は安全を確保することに注力した方がよさそうだ。何度か立ち止まっては進むのを繰り返し、馬車がついに東門に差しかかる。
 通行証を、と兵に問われ、隊の代表らしき商人が対応しているのが見えた。いくつかやり取りを交わした後、兵がリューグたちのいる荷台に目を向ける。中を確認するのだろう。リューグは息を潜め、出来るだけ身を縮こまらせた。シェーラも同じように膝を抱く気配がする。不本意ではあるが『商品』らしくしていなければならない。よくあるものとして気に留められなければいいのだが――そう上手くいくことばかりではなかった。
「おい、これは奴隷か? お前たちが扱うのは布と香辛料だろう」
 すぐ近くで響いた声に、リューグはあらゆる意味で拳を握りしめた。顔を背けているので兵士の表情は見えないが、向けられる視線がどんなものかは分かる。人を人とも思わぬ目で見下していることだろう。商人は予定外の取引で目録に載せていなかった、などそれらしく取り繕っていたが、兵士は無言でリューグの外套を掴んだ。頭巾が引っ張られて首が締まり、意図せずして無様な呻き声を上げた。
「やめて、乱暴にしないで! ちゃんと言うことを聞くから!」
 驚くほど悲壮な叫びと同時に庇うようにリューグの頭を抱えたのはシェーラだった。兵士は灰まみれの髪でむせ込むリューグと哀れな奴隷を演じるシェーラを見比べ、存外あっさりと通れと指示を出した。しばらくして、馬車が再び動き出す。どうやら切り抜けたようだ。シェーラの名演技のお陰だろう。丹念に灰をまぶされた甲斐があったと言うべきか。
「……実は本業は役者だったりする?」
「さぁね」
 奴隷仲間を庇う健気な女はどこへ行ったのやら、シェーラはからりとした調子で答えてリューグの頭巾を元に戻した。

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