ステラ、と少女の名前はいうらしい。古い言葉で《星》を意味する言葉なのだと彼女が名乗ったのは、もう随分歩き回ってからのことだった。大事な物を無くした、という割に、彼女は妙に楽しげにティッカの手を引く。実は、単に遊び相手が欲しかっただけなのではなかろうか。そんな風にも思い始めていたが、どうせティッカは村には帰れない。聞き分けのない少女を森の中に一人で放って置くよりはと、素直に振り回されてやることにした。
「そういえば、ティッカの探し物ってどんな物なの?」
ステラがそんなことを尋ねてきたのは、森の深部までやってきた頃のことである。彼女と出会った時の様子と比べると、森の様相はがらりと変わっていた。木々の密度は高くなって月明かりもなかなか届かないし、平坦だと思っていた地面も起伏が激しくなってきていた。森というより、山道と表現した方がしっくりくるぐらいだ。
「……さぁ。見てみないと、分からないものだから」
今更になってそれを聞くのかと思いつつも、ティッカは少女の問い掛けに言葉を返した。ステラ以上に曖昧な答えがなんとも滑稽だが、仕方がない。守護の石は形が決まっているものではないのだ。レドのものは黒っぽくて光沢のある石だったが、ティッカの守護の石も同じであるとは限らない――そもそも、存在するのかさえ疑わしいが。
「ふーん、そうなの……あ、次こっちね!」
ティッカのあやふやな回答を特に気にする様子もなく、ステラは次の道を指差して笑う。彼女が選ぶ道に規則性は無く、思い付きで決めているようだった。そのせいで帰り道が分かるかどうかも危ういが、ステラの表情には一片の陰りも見えない。むしろ上機嫌に、鼻歌さえ歌い出しそうな調子で軽快に斜面を登っていく。
「なんか、楽しそうだね」
「楽しいわよ。なんだか探検してるみたいで」
何気なく呟いた疑問に即答され、ティッカは困惑した。どうもこの少女は、不安というものからは無縁であるらしい。これでは、色々と気を揉んでいる自分の方が馬鹿のようではないか。
「……落とし物は、いいの?」
「大丈夫! なんとなくティッカと一緒だったら見つかる気がするの」
まさか忘れているのでは、と尋ねてみれば、何の根拠があるのか自信満々にステラはそう言い切った。一緒に探しているティッカは、その落とし物の詳細さえよく知らないままだというのに。
「ティッカは楽しくないの? ずっと渋い顔してる。探検は嫌い?」
かと思えば、今度はステラが問い掛けてくる番である。自身の表情を指摘され、ティッカは内心ぎくりとした。嫌、という訳ではないが、どうステラに接して良いのか測りかねていたのである。年下の面倒を見ること自体は苦痛に感じないが、彼女はカペラに似すぎていた。違うということは理解している。しかしその瞳を見るとどうしても罪の意識がくすぐられ、どんな顔をすればいいのか分からなかった。
「嫌いとかじゃないけど……危ないし」
それこそ、昔はカペラに引っ張られて森や洞窟に探検に行ったものだった。活発なカペラが先を行き、ティッカが危ないと引き留めても聞きはしない。確かに楽しかった思い出でもあるが、今はそんな状況ではない。ついさっきまで凍死してしまおうと考えていたくらいなのに、楽しめる心境にあるわけがないではないか。それにステラが意識せずとも、その容姿は否応なしにティッカを責め立てる。気まずさと罪悪感に口ごもるティッカに、ステラは更に追い討ちをかけた。
「大丈夫よ! 何かあったらティッカがちゃんと守ってくれるんでしょ?」
無邪気に放たれた台詞に、ティッカは足を止めた。否、動けなくなってしまった。そのままずるずると座り込み、膝を抱える。ステラが不思議そうに振り返ったのが、気配で分かった。
「ティッカ?」
「……守れないよ」
守る。その言葉が、ティッカの心を抉った。まるで、あの時に戻ったかのようだ。ティッカのなら大丈夫だから、とカペラにせがまれ、中途半端な御守りを渡した。結果カペラは死に、慢心した代償として星紡ぎの力も失った。ティッカでは、カペラを守ることが出来なかったのだ。彼女と同じ顔で、そんなことを言わないで欲しかった。ティッカには何も出来ない。なのに、師は星紡ぎの試練を課し、ステラは自分を守れという。やめてくれ、と叫びたかった。もう何も、期待などしないで欲しい。応えることなど出来ないのだから。
「ティッカ、どうしたの? 具合でも悪いの?」
気遣わしげに、ステラはティッカの頭を撫でる。その手は皮肉なほど暖かく、星の光と同じ温もりだった。罪の意識と、懐かしさと、行き場のない憤りと――いろんな感情がないまぜになり、わけも解らず泣きたくなる。師の言う星の導きとは、なんなのか。これがそうだというなら、心を乱されるだけで向かう場所など見当も付かない。ティッカの行く道は、相変わらず暗いままだった。
「ごめん。ごめんなさい……」
誰に謝っているかも分からなかった。死なせてしまったカペラか、眼前で戸惑っている少女か、ティッカを送り出した師匠か――あるいは天にある星々か。うわごとのように、謝罪の言葉を繰り返す。ステラはしばらく黙ってティッカの頭を撫で続けていたが、不意にその手が止まった。その動きにつられるように顔を上げると、少女の体温がふわりとティッカの身体を包んだ。
「そっちの事情は良く知らないけど、大丈夫よ。ティッカは私のことちゃんと守ってくれるわ。解るもの」
「……なんで、そう思うの」
また『なんとなく』という、曖昧な言葉で誤魔化すのだろう。そう言外に問うと、ステラはいっそう強くティッカの身体を抱き締めた。
「うーんとねぇ、勘? でも絶対そうだって確信があるんだもの。……たぶん私は、ティッカに会うためにここに来たんだわ」
「なに、それ」
この少女の言うことは、本当に意味が解らない。溜め息を吐きながらステラの身体を押し戻す。
それと同時に、不穏な音がティッカの耳に届いた。ばきり、という、太い気の枝が折れたような音。
「え、何……?」
突如として静寂を破った音に、ステラもまた身を震わせる。ティッカはすぐさま立ち上がり、辺りの様子を窺った。自然に枝が落ちた音、とは思えない。近くに野生の獣がいるのだろうか。暗闇の中に目を凝らし、虱潰しに木々の隙間を探していく。すると、そう遠くない場所に黒く大きな影が見えた。ティッカの視線を追って影を見つけたステラが叫ぶ。
「――熊っ!?」
「わっ、馬鹿!」
慌てて少女の口を塞ぐが、既に遅かった。叫び声に気付いた熊が、のそりと首を回す。闇の中に光る双眸が、二人を見据えた。この辺りで熊が人を襲った例はあまり聞かないが、今は時期が悪い。刺激しないように、とにかく冷静に対処しなければ。そう自分に言い聞かせていたティッカは、ステラの様子にまで気が回らなかった。恐怖心のまま、彼女は後退り逃げようとする。ティッカが気付いたのは、ちょうど彼女が足を踏み外した瞬間だった。
「きゃあっ!」
「ステラ!」
傾斜が強く崖のようになっていた地面から、ステラの身体は宙に投げ出された。咄嗟にティッカは手を伸ばす。辛うじて彼女の手を掴むことに成功したが、支え切れなかった。そのまま体勢を崩し、ティッカの身体を地面が打つ。止める術もなく、ティッカはそのまま斜面を転がり落ちた。枯れ枝や石に引っかかりつつも重力には逆らうことが出来ず、視界は目まぐるしく移り変わっていく。散々地面に弄ばれてようやく終点に着いた頃には、ティッカはすっかり目を回していた。
「いたた……」
何度か目を瞬かせながら、なんとか身を起こす。服はすっかり泥だらけで、破けてしまった箇所もあった。あちこち擦り傷が出来たうえ、何かの拍子に口の中を噛んだらしい。微かに血の味がする。それでも、なんとか命に関わるような怪我は免れたらしい。その事にひとまず安堵したティッカは、次にステラを探した。彼女も一緒に落ちたはずだ。幸い、近くの地面で伏せている姿をすぐに見つけることが出来た。
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