ゆっくりと、地の感触を確かめながら歩く。踏みつけた小枝がパキリと音を立てた。水分が抜けしなやかさを失ったそれは、いとも簡単に折れてしまった。時折吹く風は砂埃を舞い上げ、人々を痛めつけた。乾ききった土。申し訳程度に生えている雑草すら茶色く変色し始めていた。いつも行くあの森とは全く違う――。
砂埃が入ったのか、ちよは目を擦りながら家への道を急いでいた。
「暗くなりきる前には戻れそうね……良かった」
歩き慣れた道だ。あと何十歩か数えれば我が家に辿り着く。殆ど枯れて使う者もいなくなった井戸を左手に曲がれば、粗末で小さな家があった。
ガタガタと音を立てて立て付けの悪い戸を開くと、ちよは薄暗い家の中に向かって声をかけた。
「ただいま、母さま」
返事はない。ただ静寂の中に声が響くばかりだった。ちよはしばらくその場から動こうとしなかったが、やがて意を決したかのように奥の部屋へと足を進めた。板張りの床が不快な音を立てる。殺風景な部屋。そこにあったのは長い間使用され続けたのが窺える薄い敷布団、そして掛け物と思われるくたびれた布だった。
ちよはその横に腰を下ろすと、布団――正確にはその中に横たわる人物に対して再び口を開いた。
「……母さま」
その声にようやくちよの存在に気付いたらしい布団の中の人物は、重たそうに瞼をあけた。
「ああ……ちよ、帰ってきたのかね」
喋るのと同時に、ヒューヒューと空気の漏れる音がした。蒼白な顔、抜け落ちた髪、痩せ衰え今にも折れそうな腕は、その人が病に蝕まれている事を十分すぎるほどに説明していた
「はい。ただいま帰りました」
「また、天狗の山に行ったのかい?」
「……」
母は途切れ途切れに言った。その目は決してちよには向けられず、視線は中空をさまよっている。ちよの沈黙をどう受け取ったのか、枯れ枝のような指で顔を覆い、嘆き始めた。
「あぁ、なんと気味の悪い……いつもそうだよ。知っている筈のないことを知っている。行ける筈のない場所から帰ってきたと言う。恐ろしい、あやかしの子」
「……違う、母さま私は――」
「お黙り!お前の母親になった覚えなんて無いんだよ」
ちよの言葉を遮り、その体のどこにそんな力が残っていたのか、という声で母は叫んだ。
「どうせ、私を殺すつもりなんだろう。あぁ、なんてこと……気味の悪い……」
まるでうわ言のように繰り返される呪いの言葉に、ちよは母から顔を背け、唇を噛み締めた。
ちよは、生まれつき盲目だった。
労働力にならない、役立たずの娘……周囲からそう囁かれ、ちよ自身もそう思っていた。肩身を狭くし、盲目の自身を嘆く日々――そんな日常に変化があったのは、ちよが十の年を数えた日だった。突然、空の色が見えたのだ。雨雲が立ちこめ、薄暗い村の情景。目が見えるようになったわけではなかった。ほんの一瞬、その場面が目の前によぎったのだ。
雨が降る、と彼女は言った。別段おかしいことではなかった。視覚的に感じ取れなくても、雨の日独特の湿った空気や匂いがあるものだ。しかし彼女は「村の一番大きな木に雷が落ちる」とも言った。そしてそれはその通りになったのだ。
それだけなら偶然で済まされたのかもしれない。しかしその日を境に、ちよは未来を、自分の知らないものを見るようになった。最初のように目の前によぎることもあれば、夢に見ることもあった。ちよは嬉しかった。これで自分も少しは役に立てる。病の母の支えになれる……そう思ったのだ。
しかし彼女の気持ちとは裏腹に、大人たちはちよを気味悪がるようになった。役立たず、といつも彼女を罵っていた母は、目を合わせることすら無くなった。少しでも皆に、母に認めてもらいたいという少女の願いは届くことはなかった――。
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