人と精霊 8

「流石に察しがいい。そう、エルドはヘレス王家の子孫だよ。その血筋を遡って私が出てきたというわけだ。はっきりと自我を持つのには時間がかかったが、ね。エルドはエルドで別にいるよ。ただ、症状が進行すれば消えてしまうかもしれないけどね」
「そんなことが、あり得るのか……?」
 疑うような言葉を呟いても、ユイスは自分が殆ど確信に近い思いを抱いていることを知っていた。クロック症候群に関してはどんな事態が起こっても不思議はない。そもそも時柱の話とて初めは信じ難いものだったのだ。彼が説明した通りだとすれば辻褄は合うし、何よりエルドとヴァルトの印象はあまりにも異なっている。演技にしても、ヴァルトの振る舞いは辺境の町の少年としては違和感が強すぎる。
「信じるか信じないかはお任せするよ……まぁ、とりあえず話が一段落したところで、此方の用事を済ませていいかな?」
 ユイスの葛藤など気にも留めないというように、ヴァルトが肩を竦める――その瞬間、全身が総毛立った。殺気。そう気付いて咄嗟にレイアの腕を掴んで引き寄せると同時に、鋭く空気が唸った。直後、それまでユイス達が背にしていた柱に異変が起きた。まるで刃物で切られたように真っ直ぐひび割れ、僅かな時差で音を立てて崩れていく。目の前に金色の筋がはらりと舞った。レイアの髪の毛に掠めたのだろう。反応が遅れていれば、柱の代わりに彼女の身体が真っ二つになっていたに違いない。
「おや、意外と良い動きをするじゃないか」
 揶揄するようなヴァルトの声に、止まりかけた思考が現実に引き戻される。あの力に神官達も引き裂かれたのだろう。よく身体が動いたものだと、ユイスは密かに戦慄した。しかし怯んではいられない。
「それが用事か? 下でも機会はあっただろうに、随分回りくどいことをするな」
「君達が分散してくれた方が楽だからね。危険だと思えば残してきてくれるかと思ったんだけど……意外と頑張るね、継承者殿」
 ユイスに応えながらも、ヴァルトの視線はレイアにあった。狙いは彼女なのか。
「……貴方達が言う〈時柱の継承者〉とはなんですか。私と時柱になんの関係があるというんです? 私を殺したいのもそれが理由ですか」
 疑問を投げかけたのはレイア本人だった。表情を強張らせながらも、彼女は気丈にヴァルト達を見据える。時柱の継承者という言葉。表立って行動するユイスではなく、レイアを狙う意味。彼らは、此方が知らない何かをまだ隠し持っている。
「……知らない、か。まぁ、知ってたらもっと話が早かっただろうな」
 意外にも、静かな声音でヴァルトは呟く。それにはどこか哀切にも似た響きが含まれていたように思えた。しかしそれは瞬時に消え失せる。
「ようするに、次の犠牲者ということさ。どちらにせよ命はないのだから、素直に殺されてくれ」
 先程感じたものは勘違いだった――そう確信するほどに冷酷な口調で、ヴァルトは告げた。呼応するようにシルが動く。
「――イルファ!」
 反射的に頼りの炎の精霊の名を叫ぶが、彼は動けるだろうか。ヴァルトを倒すならエルド諸共だ。いや、動いたとしても精霊王の力を受け止めきれるだろうか。
 考えている猶予はなかった。レイアを庇うため、ユイスは身を翻す。恐らくは無意味だろうが、万が一にも逃げおおせる可能性があるなら彼女を助けたい。
 レイアの悲鳴が聞こえた。風の刃が閃く。無残に切り裂かれる覚悟を決めて、ユイスは目を瞑る――だが、来るはずの衝撃は襲ってこなかった。代わりに、何かがぶつかり合うような激しい音。
「少し頭を冷やしなさい、風の王。度が過ぎるわよ」
 響いたのはヴァルトでもシルのものでもない、透明で涼やかな女声だった。恐々と目を開くと、視界へ飛び込んできたのは見知らぬ後ろ姿だった。青く揺蕩う長い髪、宙空に揺らめく白い衣装。ユイス達を守るように立ち塞がり、片手を前に突き出している。精霊だ。いましがたの音の正体は、彼女とシルの力が激突したものだったのだろう。
「……貴方もね、水の王。人間に入れ込むのも程々にしないと、他の王達が何を言うか分からないわよ」
「つい最近も似たようなことを言われた気がするわね。でも貴方と違って多少は分別があるつもりよ」
 水の王、という言葉に、ユイスは瞠目した。ならば目の前の彼女もまた精霊王ということか。なぜ此処に水の精霊王が現れたのか、なぜユイス達を守るような真似をするのか――次々と疑問が湧き出るが、そんなユイスを差し置いて彼女達のやり取りは続いていく。
「邪魔をしないで。私は、もう――」
「だからなんだっていうの? 長く生きたわりに人間臭いことを言うのね……そこの男のせいよね。消してしまえば貴方も諦めがつくかしら。私は容赦しないわよ」
 シルの言葉を遮ると、水の王はヴァルトを見遣った。しなやかな指先が伸び、微かに青い光が舞う。それを見た途端、シルは血相を変えた。焦ったように腕を振りかぶり、風を集めて刃へ変える――しかし、すんでのところでヴァルトがそれを制した。
「よせ、シル。まともにぶつかれば塔ごと吹き飛んでしまう。流石に分が悪い。我々は一度退散するとしよう……そういうことだね?」
 前半はシルに、後半は水の王に向けられた言葉だった。水の王は鷹揚に頷くと力を収め、シルもヴァルトに目配せされ渋々といった体で引き下がる。かと思うと、ひゅう、と軽やかな音を立て風がヴァルトとシルを中心に渦巻き始めた。
「残念だけど、今回はそういうことだ。まぁ、次は君達の方から会いに来てくれるだろう……時柱を取り戻しに、ね。待っているよ」
 最後にユイス達に向かってそう投げかけ、彼等の姿は掻き消えた。どうやら、命拾いをしたらしい――それを自覚した途端、一気に気が抜けた。傍らのレイアもずるずると床にへたり込む。
「全く、情けないわね。念のためにと思って同胞に様子を見させてたから良かったものの」
 呆れ返ったように水の王が振り返り、目が合った。確かに、精霊王の前だというのに情けない。半ば放心状態であった自分を叱咤し、ユイスは居住まいを正した。そこでふと、水の王に対する違和感に気付く。輝く海の瞳、どこか幼さの残る顔立ち。どこか見覚えがあるのは気のせいだろうか――心中で首を捻ったのが伝わったのか、それについては相手の方から答えをくれた。
「……まさか、恩人の顔を忘れたなんて言わないわよね。海の底から運んであげたでしょ」
 溜め息と共にそこで口を閉ざすと、水の王の身体がどこからか現れた水に包まれた。たちまち水球は収縮していき、最終的に人の頭程の大きさになると、弾けて消えた。残されたのは、小さな人影がひとつ。その姿を見て、ユイスは驚愕した。
「……レニィ!?」
「そうよ、レニィよ。気付くの遅すぎなのね!」
 小さな胸を張り、尊大な態度で自分を主張するのはまさしくイルベスで別れたはずのレニィだった。親しみを感じていた精霊と再び相見えたのは嬉しいが、なぜ彼女はこんな所にいるのだろう。精霊王と呼ばれていたのはどういうことなのだろうか。再会の喜びと同時に様々な疑問が湧き出てきて、思考が上手く纏まらない。それを察したらしいレニィが、かいつまんで事の次第を語った。
「シルが関わってるのは予想してたから、同胞たちに様子を報告させてたのよ。そしたらあんた達が危ないっていうから慌てて来てあげたのよ……他の王は大抵無関心だけど、私は無意味に世の中が乱れるのは不愉快なの。だから元々、あいつらのやってることは好ましく思ってなかったのよ。だから、それを治めようとするならちょっとは手を貸してあげてもいいの……変な顔してるけど、私が精霊王なのは事実なんだからね」
 指摘され、そんなに変な顔をしていただろうか、と慌ててユイスは気を引き締めた。ただ、あのかしましい精霊が王として発言するのに、妙な感覚がしたのも事実である。ともあれ、状況は把握することが出来た。彼女が味方してくれるというなら有り難い。
「……とりあえず、ここを出るのね。あんた達も色々しなきゃいけないだろうし、私も他の王の領域は居心地が悪いの。後の話は道すがらしてあげるの」
「……そうだな」
 続けてレニィが口にした提案に、ユイスは素直に頷いた。彼女の登場でやや気持ちは和らいだものの、ここで起きた悲劇は変わらない。町にこの出来事を伝えねばなるまい。戻ってこない身内を心配する者もいるだろう。それに、エルドのことも――どう説明するべきか、頭痛がしてきそうだった。
「気が重い、な」
 思わず、そんな台詞が口をつく。ひとまずの窮地は脱したとはいえ、問題は解決どころかより複雑化したと言える。しかし今は、重い足を引き摺って町に戻る以外ユイス達に出来ることはないのだった。

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