星紡ぎのティッカ 1

 息を切らしながら、少年は村の中を走っていた。冬の朝の空気は呼気を白く凍らせ、痛いほどに肌を刺す。起きてから慌てて適当な服を選んだせいで、余計に寒さが身に染みた。せめてまともな上着くらいは羽織ってくるべきだったと後になって思うが、そんなことを気にしている余裕も無かったのである。
 早くしなければ、約束に間に合わない。幼い身体を更に縮めて駆ける少年を見て、時折村人がどうしたんだい、と声を掛けた。それを適当に流しながら、少年はひた走る。まだ雪が積もる時期ではなかったのが唯一の救いだったかもしれない。踏み固められた道を蹴り、根菜の植えられた畑の角を曲がって、水車小屋の傍を駆け抜ける。その先にある緑の屋根の家の前に、目的の人物はいた。
「ティッカ、遅い! もう来ないかと思ったじゃないの!」
「ご、ごめんカペラ」
 少年――ティッカの姿に気が付いたカペラは、そばかすの散った頬を膨らませ憤慨した。ようやく彼女の目の前まで辿り着いたティッカは、息も絶え絶えに謝罪する。寒い中ずっと待っていたのだろう、鼻の頭が赤くなっていた。一応こちらにも言い分はあるものの、そんなカペラに怒り返す気にはなれない。何より、彼女は怒らせると大変怖いのだ。過去の経験上、とりあえずは素直に謝るのが吉、とティッカは学んでいた。そしてやはり、それが効を奏したようである。カペラは大きく溜め息を吐きながらも、それ以上畳み掛けてくるようなことはしなかった。
「……本当にもう。まぁ、なんとか間に合ったから許してあげる。それで?」
「うん。はい、これ」
 期待を込めた目でカペラに促され、ティッカは肩に下げた荷物からとあるものを取り出した。両手で包み込むようにして持ち、カペラの前で広げて見せる。途端、彼女はわぁ、と歓声を上げた。それは金色の糸で出来た、小さな花だった。編み目が歪で少々不格好だったが、五枚の花弁が陽射しを受けて微かに煌めく様子はなかなかに綺麗なものだった。
「すごい! 本当にティッカが作ったのね!」
「そうだよ。これ作ってて寝不足だったんだから」
 カペラの機嫌が直ったらしいと見て、ようやくティッカは遅刻の理由を口にした。昨日この花を朝方まで作っていたお陰で、すっかり寝坊してしまったのである。
「ありがとう! 一生懸命作ってくれたのね。すごく嬉しい!」
「えっと、うん……どういたしまして」
 一転して上機嫌なカペラに気恥ずかしさを覚えながらも、ティッカは頷いた。自分の作った物で喜んでくれたのなら、純粋に嬉しい。しかし、ティッカの中には別の不安もあった。
「……でも、本当に良かったの? 師匠のじゃなくて」
 恐る恐る、ティッカはカペラに尋ねた。彼女に渡した花は、ただの手芸品ではないのだ。特別な力の籠った、厄除けの御守りだ。しかしティッカはまだ修行中の身であり、自身も未熟であると感じていた。カペラにせがまれて作ったはいいものの、きちんと効果を発揮してくれるのかが気掛かりである。
「大丈夫よ。ティッカの御守りなら、絶対私のこと守ってくれるもん。それに、これを持ってれば大きくなっても私だって判るでしょ?」
 どこに根拠があるのかはさっぱり解らなかったが、カペラの言葉は非常に頼もしいものだった。しかしその内容に、ティッカは少なくはないはない寂しさを感じずにはいられなかった。これを限りに、カペラとはお別れだ。彼女は遠い町に引っ越してしまう。今日はその見送りだった。渡した小さな金の花は、旅の道中の安全を祈る御守りである。
「……僕が解っても、カペラが忘れちゃうよ。引っ越し先、大きな町なんでしょ?」
 こんな小さな村よりもっと多くの人と出会うだろうし、面白い遊びも沢山あるだろう。そういったものに日々触れていれば、村のちっぽけな幼馴染みのことなどあっという間に記憶から消えてしまう。そう言いたかったのだが、カペラは自信に満ちた顔で大丈夫よ、と胸を張った。
「絶対忘れないわ。ティッカみたいな色の人、他にいないもの。真っ白な髪と、夜空の瞳! 綺麗で大好きなんだもの」
 思わぬ不意打ちを喰らい、ティッカは反射的に俯いた。顔に熱が上り、動揺で言葉が出てこない。カペラは、唐突にこういうことを言い出すことがあるから困る。確かにティッカの容姿は少々特殊で、他にはあまり見ないものたった。奇異の目で見られることもあるが、村の人は大抵褒めてくれる。だから今更こんなに照れる必要は無いはずだ、とティッカは自分に言い聞かせて平静を取り戻そうとした。
 それに、とカペラの顔を上目遣いに見る。肩の長さで揃えた暁の色の髪に、若草色の大きな瞳。くるくるとよく動く表情もあってか、まるで太陽のようだと思っていた。自分のような寒々しい色より、カペラのような暖かい色の方がいい。常々そう思っているだけに、カペラに誉められるのは変な気分だった。
「ティッカ、どうかした?」
「な、なんでもない」
 不審がるカペラに、ティッカは慌てて頭を振った。カペラは不思議そうに首を捻ったが、再び口を開く前に彼女を呼ぶ声が聞こえた。カペラの両親だ。馬車の準備が整ったのだろう。
 カペラの表情が曇った。つい今しがたまでの笑顔が嘘のように無口になる。彼女もまた、同じ寂しさを感じていたのだろうか。
「……呼んでるよ」
 なかなか動こうとしないカペラを、静かに促す。ティッカとて名残惜しかったが、いつまでもこうしてはいられないのだ。躊躇うように両親とティッカを交互に見比べていたカペラだったが、やがて意を決したように向き直り――ティッカに、思いきり抱きついた。
「うわっ、ちょっと、カペラ!?」
「絶対、また帰ってくるからね! だからティッカは、それまでに立派な《星紡ぎ》になっててよ! 私の旦那さんになる予定なんだから」
「はっ?」
 素っ頓狂な声が出たのは、致し方ないことである。勿論、唐突なカペラの行動と宣言ゆえである。今年十一になったばかりのティッカだが、流石にその意味が解らないわけがない。打ち上げられた魚のように口をぱくつかせるティッカに、カペラは追い打ちをかける。
「返事は!?」
「えっ? は、はいっ!」
 殆ど反射的に出ただけの返事だったが、それでもカペラは満足気に笑って身体を離した。いいのだろうか、と思わないわけではなかったが――ティッカとしても、別に嘘をついているわけではない。
「じゃあ、行くね。御守り大事にするから……またね!」
 そう言い残し、思いを振り切るようにカペラは両親の元へ駆けていく。その後ろ姿に、ティッカは慌てて手を振った。
「またね、絶対だよ! きっと立派な《星紡ぎ》になるから……!」
 微かに残った温もりを感じながら、ティッカもまた約束の言葉を叫んだ。いつかまた、共に過ごせる日が来ることを信じて。

 ――カペラが死んだ、と便りが届いたのは、その数日後のことだった。

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