「失礼致しますぞ」
数名の神官を従えて表れたのは、記憶に違わずふてぶてしい男だった。歩くたびにたっぷりと蓄えた腹の肉が揺れ、太い指には幾重にも重ね付けされた指輪が光る。聖職者として見苦しいとしか言えない出で立ちである。
彼はそれなりに有力な貴族の出身だと聞いているが、見栄を張るならもう少し別のことしてくれと願わずにいられない。
「お初お目に掛かります、レナード司教」
その姿を認めたレイアが低頭すると、レナードは嘗めるような視線を彼女に投げつけた。
「ふむ、フェルレイア司祭でしたな。お話は伺っております」
顎を撫でながら言う様は尊大そのものである。仮にも客人である人物に対しての態度ではないが、その心中は簡単に察しがついた。こういう、血筋を鼻に掛けているような輩は、自分より身分の低いものが持て囃されるのが気に入らないのだ。例えば、平民出身ながらに聖女と呼ばれる者なんかがその対象である。
「ちなみに、そちらは?」
更にその視線は、ユイスへと向けられた。
「……フェルレイア殿の護衛を任されております。ユイスとお呼びください」
尋ねた声音に含まれる侮蔑には気付かない振りをして、ユイスは適当な嘘を吐いた。レイアが僅かに顔を歪めたが、ここで正直に名乗るわけにもいかないのだ。
というのも、今回の訪問にあたってはユイスの身分を伏せているためである。ジーラスの出した文にも、レイアがクロック症候群について協力を仰ぎに向かう旨しか書かれていない筈だ。これ以上、ユイスがクロック症候群に罹患している事実を広めるべきではない。それは全ての国民に言えることなのである。神殿を訪れる度に名乗っていては、現状を公表しながら歩いているようなものだ。どこから噂が拡散していくか知れたものではない。身分を隠すことで神殿への強制力は無くなってしまうことになるが、他にいくらでもやりようはある。それに、今後困らない程度に手は打ってあった。
「早速ですが、レナード様。聖殿のことで……」
「ええ、ええ。解っていますとも。ジーラス大司教――延いてはユイエステル殿下の御下命となれば、私としても頷かないわけにはいきませぬ」
レイアの言葉を遮り、レナードは大袈裟に頷いて見せた。ジーラスの文に、ユイスも一筆添えていたのである。文字だけなら何ら問題はない。表向きは王子の依頼を受けてジーラスがレイアを派遣した、といった具合になっている。
「地の精霊王の住まう聖域は、町を出た先の森の奥にあります。明日、案内させると致しましょう。部屋は用意しておりますゆえ、今夜はお休みください」
「お心遣い、感謝いたします」
流石に、王族の名は効果絶大といったところか。レイアも渋った割にはしっかりとやり取りしてくれたお陰で、思った以上に円滑に話は進んだ。
――だが、それ故に気を緩めてしまったのがいけなかったのかもしれない。
「それと、出来れば神殿の蔵書を見せて頂きたいのですが――」
「あ」
先程のユイスのぼやきを思い出したのか、蔵書の閲覧についてレイアが切り出した。しかしその合間に、妙な声が紛れ込んでいたような気がする。次いで、がちゃん、と何かが割れる音が響いた。それによって不穏分子の存在を思い出すが、既に遅い。振り向いた先に見えたのは、元が判らないほど無惨に砕けた陶器と、その傍に佇む小さな精霊である。
「イルファ! だから触っちゃ駄目って言ったのに――!」
悲鳴を上げるレイアを視線で制するも、間に合わなかった。司教の顔が引き攣る。
「他にも、お客様がいらしたようですかな?」
見る見るうちに気色ばむレナードに、ユイスはひっそりと嘆息した。今に至るまでイルファの存在に気付かなかった時点で、レナードがエレメンティアとしての力が無いことは明白だ。劣等感を拗らせている相手の前でそれを強調するような真似をしては、面倒なことこの上ない。
「私達に協力してくれている炎の精霊です。ご説明が遅くなり、申し訳ありません。それに、部屋の備品も」
慌てふためくレイアに代わり、ユイスが口を開いた。告げた内容に、レナードはわざとらしく瞠目して見せた。
「おお、精霊ですとな。“声を聞く者”としての力が弱い私は知る必要はありませんでしたかな?」
「……決して他意があってのことはございません。彼の精霊も気紛れゆえ、今し方まで姿が見えなかったのです。お伝えする機を逃してしまったことをお許しください」
――己には精霊の存在を感じ取れなかったのに、レイアはいとも容易くやり取りしている。その状況は、大層レナードの矜持を傷付けたらしい。ご自慢の品であろう備品も粉々なら尚更だ。平謝りするユイスを余所に、彼は大きく溜め息を吐いた。
「しかし、困りましたなぁ。この地の神殿には貴重な品も多い。またこのように壊されることがあっては……それに、神殿に仕える者にエレメンティアが多いのはご存知でしょう。混乱を招きかねませぬ」
要するに、不愉快だから早々に立ち去ってくれということか。此方としてもこんな悪趣味な部屋で一晩過ごすのは苦痛なので、ある意味有難い話ではある。
「では、町に宿を取りましょう。聖殿に立ち入る許可を頂けるなら、他のことはどうぞお構い無く」
念のために釘を刺しつつ、レイアに視線を移す。あくまで今の主導権は彼女にある筈なので、ユイスばかりが話を進めては不自然である。
「え、ええ。極力神殿にはご迷惑をお掛けしないようにします。本当に申し訳ありません」
ユイスの言わんとするところを理解したらしく、レイアも言葉を続けた。レナードは暫し思案するかのように黙り込んでいたが、やがて億劫そうに首を縦に振った。
「解りました。明日、宿まで使いの者を遣るとしましょう。では、そろそろ時間ですので」
「あ、はい、ありがとうございました……」
レイアが言い終えぬうちにこちらに背を向けると、レナードは早々に退室していった。ぱたん、と音を立てて扉が閉まると、滞っていた重い空気が一気に流れ始めたような気がした。知らぬ間に詰めていた息を吐き出すと、同じように息を吐くレイアの姿が目に入った。
「やれやれ、だな」
「すみません。結局、助けて頂いて」
「気にするな。おかしかったのは司教の思考回路だ」
項垂れるレイアに、ユイスは頭を振った。実際、彼女の言動に大きな問題は無かったのである。あったのは司教の妙な矜持の高さと、あともう一つ。
「……おー? なんだ、終わったのかー?」
注がれる視線に気づいたのか、イルファが宙へと飛び上がった。ようやく退屈から解放されると思ったのか、その場で大きく伸びをする。
「……もう一度、よく話をしておく必要がありそうだな」
全く悪びれる様子のない炎の精霊に、二人は肩を落とすしか無いのだった。
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