掌編

掌編

湖底より、愛を込めて

昔々、水底に住む人魚の娘が人間の男に恋をしました。けれど男は娘の思いに応えることはなく、彼女は敵わぬ恋を抱えたまま泡となって消えてしまったのです――。 そんな昔語りがあった。或いは御伽噺と言った方が正しいのかもしれない。美しく飾り立てられた...
掌編

悪魔と奴隷の願いの話

なんでも願いを叶えてやると言われたら、果たしてお前は何を望む?そう問われて、俺はいくらも間を置かずに結論を出した。腹いっぱいの飯に、柔らかく暖かい寝床。汚れた雨と殴りつける風から身を守れる場所が欲しい。「それだけか? 欲のないことだな」 問...
掌編

雪と骸

もうすぐ、春が来る。雪が融け、凍った川が流れだし、泥の隙間から微かに緑が覗き始める。そんな季節がやってくる。芽吹く命には祝福の歌を。土の下の亡者たちには上滑りな祈りの言葉を。誰かがそれを口の端に乗せては儚く忘れ去られ、やがて季節は巡っていく...
掌編

宝石と野花

布張りの小さな箱の中には、親指の先ほどの大きさの石が鎮座している。透き通る水の色の中に紫の筋が走り、窓から差し込む陽光を受けてその色彩は様々に移り変わった。黎明の空のような色にも、森の奥深くの泉のようにも見える輝きは、たとえ女神の肌を飾るこ...
掌編

猫と少女と希望の話

少女がその場所を訪れたのは、偶然だった。人と物が溢れる王都。その外れにある、まるで同じ街とは思えない寂れた路地を、少女は一人歩いていた。長い間櫛を通していないであろう髪は土埃にまみれ、その隙間から覗く瞳は濁った泥水の色をしていた。着ている服...
掌編

桜幻影

雨に打たれた薄紅は、散ってもなお味気無い地面を彩った。女は傘も差さず、空を見上げる。 ――雨の日の花見も乙なものだ、と。彼がそう言ったのは、いつの事だったか。灰色の空に浮かぶ桜は薄く靄がかかり、これはこれで幻想的な雰囲気で良いかもしれない。...