Scar 1

 店、とは言うものの、『ライトランプ』の日常は商売をしているとは言い難いものだった。
 まず、客が来ない。時折近隣の住人が顔を出すものの、大抵は冷やかしか雑談をしに来るだけ。何か買っていくとしても、物々交換や値切られて負けてやることも多かった。赤字になれば少ない貯金を崩すか、日雇いの仕事を探す。そんな日々だ。ルアスなどは何かと心配していたが、ゼキア自身はあまり気にしていなかった。ゼキアにとってはこれが平穏であり、金銭面で辛いと思うことはあれどそれなりに満足していたのである。店先でぼんやりしたり、時々子供達の相手をしたり、最近やって来た居候の世話を焼いたり。そういった何気ない情景が続くのが、ゼキアの何よりの望みだった。
 ――ただ、最近になってその日常を脅かす要素がひとつあった。
「こんにちは! ゼキア、ルアス、いる?」
 扉が開く音と共に響いた声を聞き、ゼキアは咄嗟に顔を明後日の方向に背けた。平穏を乱す元凶が、今日もやって来たようである。
「あ、ルカいらっしゃい……って、どうしたの? その荷物」
 こちらの心境など知る由も無いのだろう、暇だからと掃除に勤しんでいたルアスが笑顔で訪問者を出迎える。視線だけを動かしてそちらに目を遣れば、丁度その人物が中へ入ってくるところだった。視界を覆うほど大きな紙袋を抱えたルカは、それを避けるように顔を見せて苦笑する。
「それがね、ここに来る途中で市場に寄ったら色々貰っちゃって……だからお裾分け!」
「お裾分けって、これ全部!? うわっ、ちょ……ゼキア!」
 狼狽えるルアスにルカは有無を言わさず袋を押し付けた。荷物はその見た目に違わず、相当な重量らしい。よろけたルアスに助けを求められ、ゼキアは仕方なしに重い腰を上げた。
「お裾分け、って量じゃねぇ気がするけど?」
 今にも転びそうなルアスから荷物を取り上げ、溜め息混じりにルカに声を掛ける。袋の中を覗いてみると、みっしりと詰め込まれていたのは新鮮な野菜や果実である。お裾分けというよりはルカの善意の押し売りのように感じるが、彼女は肩を竦めてゼキアの疑問をはぐらかした。
「どうせ私じゃ食べきれないし、いいのよ」
「……本当に物好きな奴だな」
 言いながら、ゼキアは荷物を仕分けるべく近くのテーブルに広げ始めた。腑に落ちない点は多々あるものの、取り敢えずは受け取って置くことにする。ギリギリの生活をしている以上、食料の差し入れが有り難いのも事実だ。こういう所ではとことん貧乏性を発揮してしまうのが悲しい。
「あ、ルカ、そういえばね――」
 黙々と荷物を取り出していくゼキアを尻目に、残された二人は何やら談笑し始める。これ幸いとルカの相手をルアスに任せ、ゼキアは目の前の作業に没頭する事にした。
 先日の一件以来、ルカはすっかりライトランプの常連客となっていた。客とは言っても物を買いに来るのではなく、今日のように手土産を携えて喋りに来ることの方が圧倒的に多い。さながら、友人の家に遊びに来ているかのような調子である。ルアスなどはすっかり打ち解けており、随分親しげに会話するようになっていた。それもあってかなおのことルカは店に入り浸り、自分の家だというのにゼキアは非常に居心地の悪い思いをしている――というのが、ここのところの近況である。
「そうだ、ねぇゼキア」
「……なんだよ」
 蚊帳の外かと思えば突然名を呼ばれ、ゼキアは渋々それに応えた。此方は関わりたくないのにやたらと話を振ってくるのが、一番厄介なところである。
「この前のルアスの力の話なんだけど、やっぱりよく解らなくて。もう一回説明してれない?」
「本人が散々説明してただろ」
「話が専門的過ぎるの! 殆んど貴方達だけで喋って終わっちゃったじゃない。残念だけど私、魔法の才能なしって断言されてるの。だから、もう少し魔法に明るくない人間にも解るように話してよね」
 すげない返事も余計にルカが食い付いてくる結果となり、適当にあしらおうというゼキアの意図は失敗に終わった。件の出来事からはもう半月近く経っている。何故今更そんなことを訊いてくるのか。とにかく自分を喋らせようという、嫌がらせのような意思しか感じられない。
「要は、ルアスの封力(ふうりょく)が異常なほど高いってことだろ」
「だから、その魔力だの封力だのっていうのがまず解らないんだってば」
 あくまで受け流そうとするゼキアだったが、そうはさせまいという視線が痛いほど突き刺さる。どうあっても、ルカは自分を放っておいてはくれないらしい。
「……魔法は、魔力の他に封力があって初めて形ができるもんなんだよ」
 仕方なしに、ゼキアは魔法の理論を説明することにした。恐らく、さっさと説明して納得させてしまう方が早い。
「魔力は魔法の力そのもので、普段は身体の奥底で眠ってる。封力はそれを道筋つけて外に引っ張り出して、魔法として制御するための力だ。魔力があっても、封力がなければ魔法として力を使えない。ここまでは理解したか?」
 魔法を使う者には、基礎中の基礎の内容である。しかし普段全く縁の無いという人間に話すとなると、中々に面倒臭い。出来るだけ噛み砕いて話しているつもりだが、一通り説明を聞いたルカはあやふやに微笑んだ。
「えーと、解ったような解らないような?」
「……解ってねぇんだろ」
 やはりと言うべきか、とても理解したとは思えない返答である。少しばかりの苛立ちを腹の底に押し込め、どう説明すべきかを模索する。
「……そうだな。魔力が泉の水なら、封力はそれを汲むための桶だと思えばいい。いくら水があっても、汲むための道具がなかったらろくに使えないだろ」
「ああ、うん。それなら想像できるかも」
 次の言葉には、ルカも得心がいったように声を上げた。そして、いつの間にか肩を並べたルアスまでその横で同じような反応をしている。何故彼まで納得しているのか腑に落ちないながらも、ゼキアは説明を終わらせることを優先することにした。
「で、ルアスの場合は水は少ないが使うための能力は高い。自分の泉に水が無くても、他の泉……つまりはお前の魔力を引っ張ってきて魔法を使ったってことだ。以上!」
 話を締め括りと共に、同時進行していた荷物の整理も終了する。袋の底に残っていた林檎をテーブルに取り出して息を吐くと、何故か二人から拍手が沸き起こる。
「なるほど、なんとなく解った気がするわ」
「解りやすかったねぇ」
 うんうんと頷き合う二人の様子に、意図せずとも全身の力が抜けていくのが解った。この二人、妙に結託してゼキアを振り回してくれる傾向がある。お陰様で最近はやり込められてばかりである。
「……というか、なんでお前まで納得してるんだよ。当事者だろ」
「うーん、そうなんだけど……感覚的にやってるから上手く説明できないんだよね」
 のほほんとそんな発言をするルアスに、ゼキアは溜め息を吐くしか出来なかった。返事代わりにその頭を軽くはたくと抗議の声が上がったが、それは黙殺する。ルアスの文句を聞き流しながら、ゼキアは話の発端となった出来事を思い返した。
 ――本当はね、あまり人に言っちゃ駄目っていわれてるんだ。
 そんな前置きから語られたルアスの能力は、驚愕に値するものだった。碌な魔力も持たない、落ちこぼれの魔法師。それが彼が名乗っていた自らの素性であり、ゼキアが疑問を抱くだけの要素も無かった。実際、何度か目にしたルアスの魔法は、治癒系を除けば弱々しいものばかりである。とても“影”に応戦できるほどのものではない。だというのにルアスはあの時、自分も苦戦した影の獣をあっさりと退けて見せた。どういうことだと問い詰めれば、少年は困ったように首を傾げ答えたのである、自分には無いがルカには有るから、それを借りたのだ、と。
 持っている魔力と封力が比例しないのは、別段珍しい話ではない。それこそルカがいい例である。恐らく、彼女は魔力だけならかなりのものだろう。その髪と瞳の色彩が、強い水の加護を物語っている。それでも魔法の才なしと言われたのなら、封力を持たないゆえに魔法を行使出来ないのだろう。そして、ルアスはその逆である。
 ――だが、彼の封力の高さは異常と言っていい程のものだった。ルアスは『光の愛息子』だ。全ての属性の魔力を持つ彼らの封力は、元来高いものらしい。だとしても、他人の魔力に干渉できるなど前代未聞である。人に言い触らさないのは正解だ。これだけの逸材で、しかも見目も良いとなれば利用価値はいくらでもある。そしてこの国には、それを私利私欲に使おうとする人間がごまんといるのだ。ルアス自身は抵抗するための力が乏しいことを考慮すれば、賢明な判断である。
 そしてもうひとつ疑問なのが、そんな芸当が出来るというのに何故マーシェル学院を退学になったかということである。魔力が低いにしても、これならいくらでも道はあったはずだ。そもそも学院がこんな貴重な人材を手放すとも思えない。思えば、最初から奇妙な話ではあったのだ。ルアスの話によれば、彼が王都に来たのはせいぜい三つか四つの頃らしい。学院で学ぶのに年齢制限は無いが、いくらなんでも幼すぎる。ルアス自信の記憶も曖昧な上、考えるほどに不自然な点が目につくのだ。今更嘘を吐かれているとは思いたくないが――いったい、彼は何者なのだろうか。
「ゼキア? どうかした?」
 沈黙するゼキアを不思議に思ったのか、ルアスが顔を覗きこんだ。未だ幼さの残る金の瞳には、邪気の欠片も感じられない。
「いいや。なんでこんな芸当が出来るのに学院を追い出されたのかと思ってな」
「理由なんて僕が知りたいよ。突然友達から聞かされて、そのまま追い出されたんだよ?」
 疑問の一部をぶつけてみても、ルアスは眉を八の字にするばかりである。勘繰りすぎ、なのかもしれない。少なくとも、ルアスが悪意を持ってゼキアと共にいるようには見えなかった。
「ところでゼキア、これどうする? 僕らだけじゃ食べきれないよ」
 そんなゼキアの思考を遮るように、ルアスはテーブルの上を指差す。ルカの差し入れは主に新鮮な野菜や果物だった。果物は水分が多くて傷みやすいし、野菜は葉物が多くあまり日持ちしない。早く食べなければ腐らせてしまいそうだ。
「あー、そうだな……レオナさんの所にも持って行くか。構わないか?」
 念のためルカに向かって確認を取ると、もちろん、と彼女は即答した。それを聞いたゼキアは、山と積まれた野菜達を選り分け再び詰め直していく。それにしても大量だ。もしや彼女は最初からこのつもりで持ってきたのではないかと思えるほどである。この分では、分けたところで十分すぎる量が残りそうだ。どう処理するか悩みながらも、黙々と作業を続ける。しかしその傍らで唐突に不穏な台詞が聞こえた気がして、ゼキアは手を止めた。
「そうだ! ルカ、せっかくだしお昼ごはん食べていかない?」
 思わず、耳を疑った。発言主は言わずもがなルアスであるが、一体何を言い出すのか。
「……おいこら、ルアス」
「あら、いいの?」
「せっかくこんなに野菜あるんだし、一緒に食べようよ。いつも貰ってばっかりでろくににお礼も出来てないし……ね? ゼキア」
 一応、疑問形になってはいるものの、ルアスの中では既に決定事項なのだろう。屈託のない笑顔がそれを証明している。咎めるゼキアの声などあっさりと聞き流され、まるで何か言った? と言わんばかりだ。そして勿論、ルカも聞こえない振りである。
「あ、それ僕が届けてくるよ。ゼキアはお昼の準備よろしくね」
「あのなぁ」
「いいじゃない、たまには。……いい加減に仲良くしなよ」
 野菜の詰まった袋をゼキアの手から奪い取ると、ルアスはルカには聞こえぬように囁く。咄嗟に返す言葉が見つからず声を詰まらせると、その隙にルアスはさっさと玄関の扉に手をかけていた。
「じゃあ、行ってきます」
「気を付けてねー」
 無情にも、ゼキアが声をかける間もなくルアスの姿は遠ざかっていった。全くもって有り難くない方向に気を使ってくれたものである。呑気に手を振るルカを横目に、ゼキアは耐えきれずに深い溜め息を吐いた。
「そんなに露骨に溜め息吐かなくてもいいじゃない」
「……吐きたくもなるっての」
 悲しげな顔をするルカだったが、声音が非常にわざとらしい。一時とはいえまた二人でいなければならないのかと思うと、頭痛がしてきそうだ。彼女も好かれていないのを解っていながら居座るのだから、本当に理解に苦しむというものである。
 渋々ながら、ゼキアは昼食の準備に台所へ籠ることにした。テーブルに残っていた野菜類を抱え、無言で背を向ける……が、ルカがそう簡単に解放してくれる筈もなかった。

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