Epilogue 1

 エイリム国王レミアス崩御の知らせは直ちに国中に通達され、国民達は七日間の喪に服すこととなった。祝い事を禁じ、常時において慎まやかに過ごすよう命が下り、民は偉大な王の“不幸な事故”による急死を悼んだ。加えてイフェスでは、先日の“一部の貴族による謀反”に巻き込まれ多くの死傷者が出ており、栄光の王都には陰鬱な空気が漂っていた。
 もちろん貧民街も例外ではなく、役人がそのことを触れ回っていたことは記憶に新しい。かといって、住民達の様子に然程の変化は見られなかった。貧しい民の生活に見向きもしない王の生死などどうでもいい話であったし、役人に言われるでもなく、慎ましく倹約を重ねなければ生活できない者が殆どなのである。せいぜい、次の王が先代よりましであることを祈るのみであった。
 果たしてゼキアも、そんな者の中の一人に違いなかった。正確に言うなら、一々そんな事を気にかける程の体力も気力も無かったのである。ルアスと共にどうにか帰宅した後、疲弊した身体を休めるべく二人揃って深く眠り込んだ。案じたレオナが家を訪ねて来なければ、食事すら忘れていただろう。彼女曰わく、横たわる姿はまるで死体のようだった、らしい。
 ひとしきりレオナの説教を聴き、手厚く看護され、時に小さな兄妹達の襲撃を受けながら、ゼキア達は少しずつ日常を取り戻していった。ようやく万全と言える体調になった頃には、イフェスの街も以前と変わらぬ活気に満たされつつあった――だが、決して戻らないものもある。
 傾きかけた太陽を窓から眺めながら、そろそろ探しに行くべきか、とゼキアは一人ごちた。昼前に出掛けたきり、ルアスが戻ってこないのである。実を言えば、最近では珍しいことではない。曖昧に理由をつけて、ルアスは店を留守にすることが多くなった。
 ゼキアはあえて深く追及しなかった。ルアスは、一人になる時間が欲しいのだろう。先日の事件が彼にどれほどの衝撃を与えたものか。大切にしていたはずのものが全て壊れてしまった、と感じていても無理はない。それでも立派に現実に立ち向かっていたと思えるが、時間が経ってから思うこともきっとある。
 しかし、流石に日が暮れても帰ってこないとなると話は別である。今も夜の貧民街が危険なことに変わりはないのだ。ネルやルピのように時間を忘れて遊んでいるということは無いはずであるが。
「……行くか」
 帰ってくるなら道すがら鉢合わせるだろうし、そうでなければやはり探すべきだろう。そう結論づけて、店の粗末な看板を裏返し『閉店』と書かれた側を表にする。抜かりなく愛剣を携えると、ゼキアは夕暮れの貧民街へと繰り出した。

   ※

 結果を言えば、道中出会うことは出来なかったが勘が上手く働いた。それほど苦労することもなく、ゼキアはルアスの姿を見つけることが出来た。貧民街でも外れにある、小さな墓地である。墓地、といってもごく小さなものだった。墓は十にも満たない程しかない。石碑に刻まれた文字も擦り切れて読めなくなっているような、忘れられた場所だった。剥き出しの土は手向けられる花もなく、故人を偲ぶ者も訪れない。色彩が抜け落ちたような囲いの片隅で、少年は一人座り込んでいた。
「……ルアス」
 その背中に呼び掛けると、彼はゆっくりと頭をもたげた。そして、ゼキアを見て苦笑する。
「わざわざ迎えに来てくれたの? 心配性だなぁ」
「そう言うけどな、浚われて酷い目に遭ったのはついこの間の話だぞ」
 ゼキアの指摘にルアスは困ったように肩を竦めた。否定しないのは、彼も重々分かっている事だからだろう。
「流石に次はあんな事にはならないと思うけどね……シェイドも、もういないんだし」
 少し湿った声で応えると、ルアスは再び顔を伏せた。視線の先には墓がある。元から墓地にあったものより更に粗末な、ありあわせの木片で作られた墓標が二つ並んでいる。軽く土を盛ってはあるものの、その下には恐らく何も埋まっていない。誰の墓かなど、訊くまでもなかった。
「ただの自己満足だけど……祈る場所が、欲しかったんだ。エルシュにも謝れなかったし、シェイドが優しくしてくれたのも、全部嘘とは思えなくて」
「最近考え込んでたのは、それか」
 うん、とルアスは俯いたまま頷いた。
「僕はずっと一緒にいたのに、馬鹿だから気付かなくて。もっと早く分かってたら、何か違ってたのかもしれないのに……ルカのお父さんも、エルシュも、死なずに済んだかもって」
 ルアスの独白を、ゼキアはただ黙って受け止めた。彼に何も罪などないと、ゼキアは心底思ったし、そう言ってやりたかった。けれど、ルアスはきっとそんな言葉を求めていない。今必要なのは、心に巣食った靄を吐き出してしまうことだ。出来るのは傍にいてやることだけである。時間が必要だとしてもルアスは必ず乗り越えられる筈だ。その強さを先立っての騒ぎの中で見ていた。――あの時逃げてしまった自分より、彼は余程強い。
「あの時ああしてたらって、何回も考えちゃうんだ。もしも、なんて言ってもどうしようもないのにね。……せめて、これからは大事なものを無くさないように強くならなきゃ」
 翳っていた瞳に、僅かに火が灯る。
「だからね、ゼキア。この前の話、行こうと思うんだ」
「……学院か」
 確認するように呟くゼキアに、ルアスは首肯した。
 正式にマーシェル学院で学ばないか、と書状が届いているのである。魔法学科の教授だという人物が面会を求めに来さえした。今までシェイド達の陰謀で存在が知られていなかったのだろうが、先日の一件でルアスは堂々と街中で力を振るっている。どうやら目撃した騎士から話が伝わったらしい。元々彼の才能は希有なものだ。魔力自体が少なくとも出来ることはいくらでもある。学院が放っておくはずもない。
「今までの僕の知識って中途半端だったでしょ。ちゃんと勉強すれば出来ることも増えるかなって」
「……そうか。自分で決めたんならそれでいい。すぐに連絡するか?」
 もう心の整理はついたのかと、言外に問う。ゼキアとしても改めて学び直すのは悪い話ではないと思っていたが、様々な理由でルアスは迷っていたようだった。一つ連絡を入れれば、すぐにでも準備を整えて学院の人間が飛んでくるだろう。そうすれば、ゆっくり考え事をする時間もなくなってしまうだろう。
 ルアスは僅かに逡巡したが、最後にはゼキアの言葉に同意した。
「そうする。その方が気持ち切り替えられそうだし。いつまでもぐるぐる考えてるわけにいかないもんね……今日で終わりにする」
 言い終えるとルアスは墓標に手を伸ばし、ささくれた木片にそっと触れた。
「……だから、今日だけはもう少し、感傷に浸らせて」
 ゼキアに背を向け絞り出すようにルアスは言った。顔を見られまいとしたのか、ますます深く俯く。その頭を無造作に何度か掻き回し、ゼキアは数歩離れて声を掛けた。
「完全に日が落ちる前には帰ってこいよ」
 彼が小さく首を縦に振ったのを確認して、ゼキアは来た道を戻ることにした。
 彼が学院に入るとなると、家が静かになる。ネルやルピも寂しがるだろう。思えば彼と出会ってからは何かと慌ただしかった気がする。ちょっとした人助けのつもりが、過去の因縁の人物と再会して、国王までが絡んだ騒動に発展するとは思いもしなかった。なぜか店に入り浸っていた王女も大きな要因であったが、そもそも彼女と知り合ったのもルアスが切っ掛けだったと記憶している。華奢な身体で随分といろんなものを背負いこんで来たものである。
 つらつらとそんなことを考えていると、不意に見覚えのある色が視界に映った。瑠璃の髪と瞳が夕陽と溶け合い、不思議な色彩を醸し出す。相手も此方に気付いたらしく、視線がかち合った。
「久しぶり。元気だった?」
「……ルカ」
 件の騒ぎ振りに顔を合わせた彼女は、以前と変わらぬ屈託のなさでゼキアに微笑んだ。

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