Epilogue 2

「ルアスと一緒にいるのを見つけたんだけど、なんとなく声掛けづらい雰囲気だったから」
 こんな所で何をしているんだ、という疑問に、ルカはそう答えた。機を窺っているうちにゼキアがその場を離れて、姿を見せたのだという。
 店までの帰り道、ルカは当然のようにゼキアに付いてきた。久方振りの貧民街の景色を懐かしむように、ゆっくりと隣を歩く。ゼキアの歩調も、それに合わせて自然と緩やかなものとなっていた。
「そういうことじゃなくてだな。貴族やら王族やらの事情なんざ知らねぇけど、ごたついてるんじゃないのか」
 期待したものとは微妙にずれた回答に、ゼキアは溜め息を吐く。彼女が城を抜け出してくるのは日常的なことだったが、それも既に過去の話だ。突然の国王の死に城も動揺しただろうし、あの事件の後処理も騎士と貴族達の仕事だった。ルカは仮にも王女で、その渦中にいる人物だ。今度こそ二度と会うことはなかろうと思っていたのである。
 ゼキアの思考を知っているのかいないのか、ルカはただ苦笑する。
「まぁね、色々と大変だったわよ……だからこそ、話しておいた方がいいかなって」
 気になるでしょ、と尋ねるルカに対して、ゼキアは否定の言葉を持たなかった。ゼキアとて事件の只中にいた一人である。事の顛末がどうなったのか、気にならない訳ではないのだ。
「あの地下でやってたことは、やっぱり学院の上層部が噛んでたみたい。学院の勧誘って名目で光の子を集めてたみたい。身分を剥奪するなり、監獄行きなり携わってた人達の処分は決まったけど……事件の実際はとても世間に公表出来たものじゃないわね」
 よって、王の死は“不幸な事故”として処理されたというわけである。自国の君主が不死を求めて人を“影”の餌にし、挙げ句には自分もその“影”に殺された――民もそんな想像をしたことはあるまい。それが現実にあったと知れれば反発や不安が高まり、ただでさえ不安定だったエイリムの均衡を完全に崩してしまうだろう。
 ただ、それは結果的にレミアス王の悪行を隠蔽するのと同じことであり、釈然としない気持ちが残った。
「ちゃんと裁けないのは悔しいわ。でも昔の戦争で周辺国から恨み買ってるから、いま国の基盤が揺らいだら攻め込まれて一巻の終わり、なんてことにもなりかねないって……今は、仕方ないのよ」
 ルカ自身も思う所があるのか、眉を顰めながらそう語った。ゼキアとしても、彼女を責めようという気持ちは湧いてこなかった。割り切れない事もあるが、それ以上に国のことを考えた結果なのだろう。
 地下で見付かった遺体については、出来る限り身元を調べて家族の元へ帰されるらしい。分からない者については、国運営の墓地へと埋葬される。学院は今後も定期的に監査が入るようだ。シェイドのような前例は記録に残っていないようだったが、二度とないとも限らない。国全体の“影”対策を強化する方針となった。
「……大体、こんなところ?」
 その言葉と共に、ルカは説明を終えた。諸々の結末を聞いて、多少は胸のつっかえも取れた――と、感じたのは確かだっのだが、ゼキアは妙に違和感を覚えた。いま話された国の対応におかしな所など一つもない。至って当然である。そう、あれだけ腐っていた筈の国がまともに動いているのだ。
「……意外とちゃんとやってるな」
 思わず、本音が零れる。どうせ貴族や騎士達は我が身可愛さに民のことなど後回しだとばかり思っていたが、一体どうしたことだろう。
「そりゃあ、頑張ったもの」
 ゼキアの呟きに、ルカが誇らしげにそう返す。内政の腐敗っぷりはレミアス王の独裁によるところが大きかったのは確かだろうが、良い思いをしていた貴族連中がそう簡単に心を入れ替えるとも思えない。彼女が奔走してこの結果なら、大したものである。
 そこで一度、会話が途切れる。不思議と穏やかな空気の中で、ゼキアは裁かれることなく消えた真の首謀者に思いを馳せた。シェイドが語ったこと、望んだもの。結果的にそれが腐敗していた国の在り方を変えたのは、皮肉としか言いようがなかった。彼の目的は果てしなく、例えあの化け物がどれほど強力でも叶ったかどうかは分からない。時代が生んだ必要悪か、道化師か――そうとさえ思える気がした。無論、成した所業は許されることではなかったが。
「……私、王女らしくないってよく言われるんだけど」
 ふと、ゼキアの思考を遮るようにルカが口を開いた。普段の快活さに僅かに影を落として、彼女は語り始める。
「街を出歩いたり、剣を振り回したり、そういうのもあったけど……そもそもお父様がまともに王女として扱わなかったのよね。今思えば、私が生まれた頃には既にあの化け物に夢中だったんだろうけど」
 道中の与太話というには彼女の声音は堅く、何かを伝えようとしているのが分かった。突然の身の上話に戸惑いつつも、ゼキアはそれに耳を傾ける。珍しく伏せられた瞳に気を取られた、というのもあったかもしれない。
「肝心の王がそれだから、臣下達も私に見向きもしないし、むしろ邪魔者扱い? オルゼスだけは色々と気に掛けてくれてたけど……お父様が心配されてますよ、って。嘘なのは、知ってたんだけどね」
 ――どうやら彼女の王城での生活は、ゼキアが想像していたものとはかけ離れていたようだった。臣下達の冷えた視線、肉親の情を持たない父親、箱に仕舞われた人形の如く誰も気に留めない王女。
「だからね、王族なんて肩書き殆ど意味がなくて、本当にただ城にいるだけの穀潰しだったのよ」
 そこまでルカが語り終えたところで、丁度『ライトランプ』の前まで辿り着いた。空はより赤く深く燃え、灰色の貧民街を鮮やかに染め上げる。全ての家が灯火によって照らされたかのような情景ではあったが、所詮は一時のものだ。すぐに歩くのもままならない程の闇が来る。そろそろルカも帰らなければまずい時間だ。シェイド達を退けても“影”の脅威が無くなったわけではない。貧民街の人間を餌にする魔物は未だ夜に蔓延っている。唆していたシェイド達が消えたお陰か以前よりは頻度が減ったようにも思えたが、危険なことに変わりはない。そんなことくらいルカも解っている筈だが、彼女は動こうとしなかった。まだこの場を離れ難い、というように。
「……なんで、俺にそんな話をしたんだ」
 無理矢理にでも追い返せと告げる理性に反して、口からはそんな台詞が零れ落ちる。まだ、彼女の伝えたい要の部分を聞いていないと、直感的に思ったのだ。
「……私だけ貴方の昔の話聞いちゃったの、悪かったかなって。あとは、単に私が話したかったから、かな」
 促されてルカが口にした言葉は、どこか歯切れの悪いものだった。だが一瞬口篭ったかと思った後、意を決したようにルカは顔を上げた。
「あのね、後継者の話なんだけど……私が王位を継ぐことになったの。色々あったけど、結局血統を重んじるってことになって」
 そうして告げられた内容に、思考が一瞬止まった。思わずルカの顔を凝視する。王位、ということはつまり。
「……まぁ、そういう反応だろうとは思ってたけどね」
 苦笑する彼女に弁明も反論も出来ず、ゼキアは固まっていた。確かにルカは先王の一人娘で直系の王城であるし、過去にエイリムに女王が居なかったわけでもない。頭でそれは理解しているのだが、彼女が王として振る舞う姿などあらゆる意味で想像が出来なかった。
「……大丈夫なのかよ」
 たっぷりと間を置いてようやく出てきたのは、皮肉めいた台詞だった。ルカは不満をあらわにして、捲し立てるように反論する――かと思いきや、意外にも彼女は神妙に語った。
「さぁ? 駄目かもしれないわ。さっきも言ったけど私は王族としての教育なんて殆どされてないし、人望があるわけでもない。民衆が不満を爆発させて、革命運動起こしちゃうかもしれない」
「おい……」
 そこは虚勢を張るところなのではないか、と自分で差し向けたておいて身勝手なことを考える。しかし珍しく弱気なのかと思えば、そうでもないらしい。語気を強め、ルカは更に続けた。
「不服に思ってる臣下も多いし、私は馬鹿なのかもしれない。でも父が見ようとしなかったものを見てきたし、根性だけはあるつもり。頭の腐った連中を玉座に据えるくらいなら、私が奪った方がましだと思ったのよ。きっと良い国に変えてみせるから……見ていて欲しいの。でもね、それでも、どうしても駄目だったら」
 一度言葉を区切ると、ルカは己の首筋に手を這わせた。
「この首は貴方にあげるわ。その時に私を裁くなら、貴方がいい。……そう、思ったから」
 何を馬鹿なことを――そう言いかけて、ゼキアは口を噤んだ。鮮烈なまでの光を放つ瑠璃の瞳が、胸の奥底を射抜く。
 いつもそうだ。彼女が意志を貫き通す時、いつも必ず真っ直ぐにゼキアを見つめていた。その視線に貫かれる時、自分でも分からないような小さな痛みを伴うようで居心地が悪かった。だが今、彼女の瞳に不快感は覚えない。代わりに、ルカに抱いていた複雑な感情が解きほぐされていくようだった。
 苦手だったのではない。自分が逃げてしまった道を選ぶ強さを持った眼差しに嫉妬して、強く焦がれて――たまらず惹かれていたんだ、と。そう、自覚した。
「ご指名かよ」
「ええ、そうよ。宜しくね」
 どこか諦めにも似た気分で吐き出したぼやきに、ルカは悠然とした笑みで応える。向かう先は困難ばかりだというのに、余裕さえ感じられる表情だった。話すことも全て話して、憑き物が落ちたようだ。何もかもを抱き込んで、彼女はこれからも進むのだろう。
 それならば、と思い立って、ゼキアはルカに向き直った。
「ちょっと、手貸せ」
「手?」
 首を傾げながらも、ルカは素直に手を差し出した。それを掬い取って頭を垂れると、軽いくちづけを落とした。細い手が、ぴくりと震える。
「――分かった。その言葉が嘘にならないうちは、俺も力を尽くそう。精々しっかりやれよ」
 手を取ったまま、静かに告げる。忠誠の誓い、だったか。昔騎士団で見たものの真似事だ。
 その間、ルカは微動だにしなかった。ゼキアを見据えていた瞳は大きく見開かれ、唇はわななく。彼女の反応に、ゼキアは少しだけ愉快な気分になった。
「じゃあな。気を付けて帰れよ」
 硬直している肩を叩き、ルカに背を向ける。返事は無かったが、辛うじて頷いたのが見えたので大丈夫だろう。柄にもないことをした自覚はあったが、散々やり込められた意趣返しとしてはまぁまぁだろう。
「……さて、と」
 店に入り、後ろ手に扉を閉める。中へ歩を進めると、テーブルに放置された白い封筒が目に入った。これはルアスではなくゼキアに宛てられたものだ。手に取り、差出人の署名をなぞる。
「俺一人、立ち止まってるわけには行かないな」
 一人ごち、ゼキアは己の未来を思った。光も闇も内包するこの都で自分はどう生きて、何を残すのかを。

 ――後日、騎士団の門戸を叩いた一人の青年がいた。当時の団長の計らいにより異例の入団となった彼は、身分も何も持たぬ身で着実に実績を築き上げていく。痛烈な批判も跳ね除け進んでいく姿は、報われなかった民衆達の強い希望となった。やがては団長の片腕となり、王を支え、永きに渡って国の柱であり続けたという。

コメント