千夜に降る雨 7

 夜の森は、静かなようで騒がしい。虫の鳴き声や、梟の羽ばたき。周りが静かな分、際立って聞こえた。雷は目を閉じ、それらの音に耳を傾けていた。雷は人と違って睡眠を取る必要はない。夜の森をこうやって過ごすのが好きだった。最近は昼間が騒がしいだけに、この時間が余計に心地よい。そう、思っていた時だった。
「なんだ……?」
 音の中に異質なものがあった。がさがさと無遠慮に草を掻き分ける、獣とはまた違う生き物の音。しかし更に耳をすませば、それはよく知ったものだった。
「――雷っ!」
 顔を上げてみれば、やはりそれはちよの姿だった。駆けてきた勢いのまま飛びついてきたちよを受け止めながら、雷は問い掛けた。
「お前、どうしたんだ!?こんな時間に」
「雷、母さまが……母さまを助けて……」
 答えになっていないんだが、と言いかけたが、小刻みに震えるちよの体を見て、雷は言葉を飲み込んだ。母親に何かあったのか。病気とは言っていたが、山程持ち帰った天青草はどうなったのか。
「天青草で治るんじゃなかったのか」
「ううん……あれは駄目だったの。それで、今日家に戻ったら……」
 そこまで話すと、ちよは恐ろしい物を見たかのような形相で雷にしがみついた。
「お願い、助けて!雷は山の天狗様なんでしょう?」
 それを聞いて、雷は思わず目を見張った。自分から告げてはいない。なら何故、盲目のちよがそれを知っているのか。
「お前、目が……」
「見えないわよ。でも知ってる。雷はお日様みたいな色の髪で、森の色を映した目をしてるの。背中には大きな灰色の翼……違う?」
 見事に自分の特徴を当ててみせたちよに、雷は言葉を失った。
「ごめんね。最初から知ってたんだ」
「……どういうことだ?」
 ようやくそれだけ尋ねた雷に、ちよはぽつぽつと自分の事を話し始めた。
「私の目が見えないのは生まれつきだったの。そんなだから家の手伝いも出来なくて、よく罵られた。でも、ある時から、時々知らない風景とか、未来の事が見えるようになったの」
 溜まっていたものをすべて吐き出すように、ちよは話し続けた。村の事、薬師の嘘、そして、先程の状態を含めた母の事も。
「息をしてなかったの。雷、神さまなら何とかできるでしょう?お願い――」
 ちよは最初の焦りを取り戻したように、雷に言った。その為にここまで来たのだ。
 しかし雷は、少し気まずそうな顔でちよを自分から引き剥がした。
「……できない」
 静かに、しかしはっきりと彼は告げた。
「え……?」
「俺は、お前が想像しているようなモノじゃない」
 ちよは何を言われているのか解らない、といった様子で立ち尽くした。
 神、と言われればそうなのだろう。雷は人間に比べてとても長命だし、食事も睡眠も必要としない。かといって、人々が想像するような超常的な力は持ち合わせていなかった。せいぜい翼で中を舞うくらいなものだ。ましてや……死んだ人間を生き返らせるなど。
「……そっか」
 ようやく思考が動き始めたらしいちよが呟いた。
「神さまも万能じゃないんだねぇ」
 ふふ、とちよは笑ったが、その笑顔は虚ろなものだった。
「ごめんね。もう帰るね」
 そう言って、ちよは背を向けた。
「……送っていってやろうか?」
「大丈夫だよ―、道分かるもん」
 そう言うと、元来た道を歩き出した。
「……また来るんだろう?」
 思わず尋ねた雷に、ちよは振り返らないまま答えた。
「そう、だね……また。じゃあね!」
 一度は止めた足で今度は駆け出し、彼女の姿は森の闇へと溶けていった。

コメント