小さな炎 8

 精霊に誘われるままに大通りを抜け、いくつかの細道を通った先。辿り着いたのは、住宅街の片隅にある小さな空き地だった。ユイス達が追い付いたことを確認すると、道案内の精霊は役目は終わったとばかりに姿を消した。
 走ったせいで乱れた呼吸を整えながら、周囲を見渡す。火祭りの準備のためだろうか、仮設の物置小屋と、端の方には雑多に資材や天幕などが置かれていた。特に変わったものは見当たらないが、あの精霊はなぜこんな場所へ連れてきたのだろうか。
「……ん?」
 しかし、疑問を持ったのも束の間のことである。積まれた資材の上に見える小さな影が、答えだった。
「あれが犯人、か」
「……多分、そうですね」
 ユイスはレイアに目配せすると、ゆっくりとそこへ近付いた。炎の王――イフェンは『捕まえろ』と言っていたが、まさか精霊を網で捕らえる訳にもいかない。まずは対話をして、一緒に神殿へ来てもらうよう同意を得なければ。
「失礼。炎の精霊とお見受けするが、少しいいだろうか」
 そう声をかけると、不思議そうに見上げる金の瞳と目が合った。身体の大きさは、今し方案内してくれた精霊と同じほど。人にしてみれば十二、三才位の少年の姿をしていた。肌は飴色で、頬に刺青のような模様がある。深い緋色の髪はまさに炎を体現したかのようで、キョロキョロとよく動く瞳と合わせてみると、弾ける火花のような印象だった。
「……お? おお、なんだ人間ー、お前らおれが見えてるのかー」
 暫し間が開いたかと思うと、ようやく返事が返ってきた。語尾を延ばすような、独特な喋り方だ。
「人間が何の用だー? おれ今これ食べるのに忙しいんだよー」
 これ、と言って精霊が両手で掲げたのは、ビスケットだった。元は円形だったはずのそれは、既に半分ほど齧られていびつな物になっていた。
「ユイス様、これ、さっきのお店のです」
 ユイスにはよく判らなかったが、ビスケットの模様や形でレイアはそう判断した。やはりこういったものは女性の方が敏感なのだろう。この精霊が一連の火事との関わっている可能性は高くなった。
 ――しかし、今はそれより目の前の精霊の行動が気に掛かってて仕方ない。ビスケットをがりがりと貪るその姿に、ユイスは大変な違和感を覚えていた。
「……レイア、精霊はビスケットを食べるものなのか?」
「……うーん、私も初めて見ましたけど……」
 精霊が人と同じように食物を必要とするとは聞いたことがない。自分達とは全く違う原理で世界に存在する彼らも、腹が空くことがあるのだろうか。流石のレイアもこの疑問には首を捻るしかないようだった。ひたすら戸惑う二人に答えを寄越したのは、意外にも疑問の元となった張本人だった。
「食べるぞー。食べなくても大丈夫だけど、これはうまいからなー。人間もたまにはいいもの作るー」
 つまり嗜好品のようなもの、ということか。そう喋っている間にも精霊は順調にビスケットを嚥下し、ついに最後のひと欠片を口に放り込んだ。
「うん、うまいぞー!」
 満面の笑みを浮かべ、精霊は喜びを体現するかのように宙へと飛び上がった。すると、それに付随するように細かな火の粉が辺りを舞う。
「これは……」
 ――火の元の正体見たり、である。精霊の様子を目の当たりにし、ユイスはなぜ菓子店に火事が続いたのかを理解した。
「火事にもなります、ね」
 得心がいった、という顔でレイアもまた頷いた。菓子店でつまみ食いし、その度こうして火の粉を散らせば、周りの物に引火しても何ら不思議ではない。その結果が近日の連続火事騒ぎというわけだ。元凶の精霊の容姿も相まって、まるで子供のいたずらに振り回されたような気分である。
「まったく……炎の王はこの辺りの事情は知っているのか……?」
「ん? んー? なんかおれ達の王を知ってるみたいな言い方だなー」
 思わず溢したぼやきに反応したのは、件の精霊だ。ユイス達の頭より少し上に飛んだかと思うと、あちこち角度を変えてはこちらを見回し、訝しげに首を捻る。
「ええと、実はその炎の王……イフェン様に頼まれて、貴方を探してたの」
 レイアがそう口にした途端、精霊の肩が目に見えて判るほどに震えた。炎の王が意図した通り、その名の威力は絶大らしい。精霊はせわしなく飛び回っていた身体をユイス達の正面に落ち着けると、今まで以上に不審そうな視線を向けた。
「……なんで、名前知ってるー? お前らなんだー?」
「……私の名はユイエステル・メレク。こちらはフェルレイアだ。事情があって炎の王に拝謁して、貴方を連れてくるように言われたんだ」
 精霊相手に隠し立てする必要もあるまいと、ユイスはかいつまんで事情を説明した。自分達の身分、クロック症候群のこと、そして炎の王とのやり取り。
 ……気のせいだろうか、それらを語るうちに、炎の精霊の顔色が徐々に悪くなっているように見えた。
「そういうことだから、一緒に神殿まで来てもらいたいんだが……」
 話が終わることには、精霊はすっかり青ざめた顔をしていた。小さな身体を震わせ俯いたまま、問い掛けに返事はない。
「えっと、大丈夫?」
 まるで何かに怯えるような様子に、レイアが気遣わしげに手を伸ばす。しかし、それは届く寸前に相手によって阻まれた。
「あつっ……!」
 短い悲鳴と共に、レイアの手が引っ込められる。精霊の周りには、蝶のように火の粉が揺れていた。ただ先程見たものと違うのは、恐らくそれが意図的であるということだった。
 精霊は炎の蝶を纏ったまま、宙返りして二人から遠ざかる。
「い、いやだ! 絶対に嫌だぞー! イフェン様怒ると怖いんだからなー!」
「あ、まって――!」
 引き止める間もなく、精霊は素早くその場を飛び去った。まるでこちらを撹乱するように滅茶苦茶に飛び回り、後を追うのを許さない。それでもどうにか目線だけは追い付くと、物置小屋の窓から中へ入って行く姿が見えた。
 ――今年は花火も上げるそうです。
 不意にレイアとの会話が甦り、嫌な予感が頭を掠める。
「――レイア、伏せろ!」
 咄嗟にレイアの腕を掴み、地に伏せた瞬間だった。
 腹の底まで響くような轟音が鼓膜を打ち、熱風が襲い掛かる。断続的な爆発音に混じり、小屋が地面に崩れる音が聞こえた。その一部であろう、飛ばされて来た木片がまばらに身体にぶつかる。
 ようやく爆音が止み、ユイスが身体を起こした頃。そこには惨状が広がっていた。
 物置小屋だった場所は跡形もなく吹き飛び、その名残がある部分もすっかり炎に食い尽くされていた。被害は小屋があった空き地だけに留まらず、周囲の民家にも飛び火していた。新たな燃料を得た炎が既に燻り始め、それに気付いた住人の悲鳴が上がる。
「くそ! レイア、無事か?」
「は、はい」
 一瞬戸惑った様子を見せたレイアも、顔を上げてすぐに状況を理解したらしい。目を見張って絶句する。
「自警団に連絡を! これじゃあ精霊を捕まえるどころじゃない……!」
 早口にそう言いきると、ユイスは住人の避難のために奔走を始めた。

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