小さな炎 7

 神聖さを湛える厳かな街も、目抜通りに出れば殊の外賑やかであった。所々にある屋台からは、快活な客寄せの声。菓子を焼いているのか、甘い香りが鼻を擽る。食品店の前には、夕食の献立に悩む女性。玩具を欲しがって駄々をこねる子供の姿。どれも活気に満ちた、ルーナの日常の姿だ。
「随分、人が多いな」
 通りの様子を眺めながら、ユイスは何気なくそう溢した。元々人通りの多い場所だったとは記憶しているが、今日は一際混雑しているように思えた。先程から何度すれ違う人とぶつかりそうになったことか。
「明日は、火祭りですから」
 隣を歩くレイアが、その疑問に答える。街に出るにあたり、彼女は神殿の法衣から動きやすい服装へと着替えていた。丈の短い上着に、ゆったりとしたズボンとブーツ。長い金髪も首筋で纏め、活発な町娘といった出で立ちである。
「ああ、火祭りか……なるほどな。もうそんな時期か」
 火祭り、という単語で、ユイスは大いに納得した。道理で混み合うはずである。
 一年分の穢れを燃やし、魔を祓う。それがルーナの火祭りである。当日は街の中央広場に火が焚かれ、そこに各々燃やしたいものを投げ入れる。例えば日記帳のページであったり、不要となった日用品であったりと、それは人によって様々だ。元々は宗教的な意味の強い祭だが、当日は露店も出るし、有志による出し物があったりもする。そして何より人気なのは、夜の街の風景だ。至る所に炎が灯され、幻想的で美しい。それを見たいが為に、毎年この時期は多くの観光客が集まるのである。
「今年は花火も上げるそうです。暗い話題も多いけど、それを吹き飛ばそうって」
「それは楽しみだ。皆、頼もしいな」
 暗い話題とは、クロック症候群の事に他ならないだろう。自分が罹患するかもしれない恐怖。近しい者の死を経験する人間が増える一方の、現状。国全体の雰囲気が重く沈みがちな中、人々に活力が生まれるのは喜ばしいことだ。
 通りすがる街人の笑顔を見て、ユイスもまた口角を持ち上げた。彼らのためにも、必ずクロック症候群を収めなくてはなるまい。そう決意を新たにしたところで、不意にレイアが立ち止まった。
「――ユイス様、あれです」
 彼女が指差したのは、店の軒先にぶら下がる木の看板だった。人混みで見え辛いが、描かれているのは恐らく焼き菓子とティーカップ。菓子店のようだ。
「直近で火事があった場所です。昨日の夜に」
「よし、行ってみよう」
 頷くレイアを確認して、ユイスは止めていた足を進め始めた。
 街に出る前に、ユイス達は一応の下調べを行っていた。火事が頻発しだしたのは、丁度火祭りの準備で街が賑わい始めた時期だ。共通点としては、どれも小さな規模で大事に至らない場合が多いこと。そして、菓子店や飲食店が多いということである。しかし、これだけで精霊の仕業であると言い切るのは難しい。たとえそうだったところで、その精霊を特定するのは困難を極めるだろう。圧倒的に情報不足なのだ。とにかく現場に赴き、精霊の痕跡が無いか確かめる。それが二人の当面の目的である。
「……今日は、休みのようだな」
 通行人の間を縫って辿り着いた店先には、臨時休店の旨を伝える貼り紙が掲示されていた。昨日の火事で材料や商品に被害が出てしまったらしい。扉は固く閉ざされ、窓から覗ける店内は薄暗かった。店員の姿も見当たらない。
「中に入れるか、裏へ回ってみよう。調べるには好都合だ」
「……えっと、それって不法侵入では……あ、ユイス様!」
 戸惑うレイアは無視して、ユイスはすぐ横の路地に滑り込んだ。仕方ない。事情が事情なのである。彼女にも割り切ってもらうしかない。
 壁伝いに反対側へ回り込むと、店員が使っているのであろう勝手口が見えた。扉や周囲の壁は、黒く焦げて煤けている。恐らく火元はこの近くなのだろう。調理場などなら分かるが、こんな場所から火が上がるというのは妙である。しかし放火などの可能性が無いわけではない。これだけでは、精霊の仕業かどうかまでは判断出来なかった。
「ま、待ってください――うわぁ、真っ黒ですね……」
 ややあって追い付いたレイアの声が聞こえ、ユイスは後方を振り返った。
「火元はこの辺りのようだが、私が見た限りは何とも言えないな。何か解りそうか?」
 もし精霊によるものなら何か感じ取れるかもしれないと、ユイスはレイアに問いかけた。自分には解らずとも、“聖女”ならば。
「……うーん」
 レイアは先程のユイスと同じように周辺を眺め、首を傾げた。その表情はあまり明るいとは言えない。やはり判断するのは難しいか――そうユイスが思いかけた時である。レイアは突如としてその場にしゃがみこむと、地面に手をかざした。
「レイア?」
「ちょっと、訊いてみます」
 どうしたのかと疑問に思ったのも一瞬で、ユイスはすぐに彼女の意図を悟った。一歩後ろへと引き下がり、音を物音を立てぬようその様子を見守る。
 ユイスが下がったことを確かめ、レイアは一呼吸おいて地面へと語りかけた。
「――この地に住まう精霊よ、我が声に応え給え」
 すると彼女の声に呼応して、次々と小さな精霊達が姿を現し始めた。辺りの草花、土、大気に宿るもの――皆、人の顔と同じくらいの大きさだろうか。姿は様々だが、それ以外は人とよく似た見目形をしている。ただ明らかに異質なのは、一様に耳が尖っていたり、羽が生えていたりと身体の一部が異形であることだった。
 集った彼らを見つめ、レイアはふわりと微笑む。
「ありがとう。少し、訊きたいことがあるんだけど――」
 まるで友人に接するような口調で、レイアは精霊達に語りかける。そして精霊達も不快な素振りを見せることなく、彼女の話に耳を傾けているようだった。
 ――これこそが、レイアが“聖女”と呼ばれる由縁である。言葉を交わすだけなら、ユイス自身も含め他にもいる。しかし、仮にユイスが同じ事をやったところで、精霊達は見向きもしないだろう。とにかく、レイアは精霊に好かれるのだ。彼女が呼べばそれに応じ、時には進んで力を貸す。精霊に愛された奇跡の娘――それが聖女フェルレイアだ。
 改めてその光景に感心していると、話を聴き終えたらしいレイアが顔を上げた。
「ユイス様、この子が何か知ってるみたいです」
 この子、とレイアが指し示したのは、半透明の身体に蜻蛉のような羽を持つ精霊だった。崇拝対象であるはずの精霊も、彼女に言わせてみれば『お友達』らしいから恐ろしい。
 ユイスの心境を知ってか知らずか、羽の精霊はくるりと宙返りして飛び立ったかと思うと、路地に入る手前でこちらを振り返った。
「……着いてこい、ということか?」
 口をついて出た呟きに、レイアが力強く頷いた。
「案内してくれるみたいです。行きましょう!」
 その声を合図にしたように精霊は宙を滑り出し、ユイス達も慌ててその後を追い始めた。

コメント