小さな炎 11

 幸い助け出した少女に大事はなく、程なくして目を覚ました。母親はユイスに抱えられた我が子を見て絶句していたが、少女が意識を取り戻すと此方が申し訳なくなるほどに頭を下げた。恐らく、その様子を見ていた人々から話が飛び火したのだろう。街の人々はユイス達の大立回りをやんややんやと囃し立て、その後の火事現場はすっかりお祭り騒ぎとなった。
 そんな中を掻い潜ってようやく神殿への帰路に着いたのは、日も暮れかかった頃のことである。やっと一息つけるかと思いきや、待ち受けていたのは気が遠くなるほど長いジーラスの説教だった。
「何があったのか説明して頂けますな、殿下」
 そう言った時の真っ青とも真っ赤ともつかない彼の顔は、当分忘れられそうもない。適当にはぐらかそうとしても、全身煤だらけでは言い逃れも出来なかった。結局、夜半までたっぷりとお小言を食らう羽目になったのである。お陰で疲労感も甚だしく、部屋に戻るなり泥のように眠りについた――それが、昨夜のこと。
 明朝、そんなユイスを起こしに来たのは、意外な人物だった。
「おいー、こらー、起きろー」
 頬を叩かれる感触で、ユイスの意識は浮上した。ただ、その手は非常に小さい。そしてどこかで聞いたような、語尾を伸ばした独特の喋り方。重い瞼をうっすら持ち上げると、やはり昨日の炎の精霊がそこには居た。
「起きたかー? 起きなかったら、火点けるぞー」
「起きる。起きるから、それはやめてくれ」
 なんとも物騒な発言に、ユイスは慌てて声を上げた。神殿の中で火事を起こされては堪らない。ちなみに、ユイスは密かに『爆発魔』と彼にあだ名を付けていた。勿論、由来は火事の中での諸々の行動だ。脱出の際も爆風で落下の衝撃を緩和する、という、なんとも乱暴な方法で助けてくれたのである。
 そこまで昨日の出来事を振り返り、ユイスははたと気が付いた。
「……なぜ、ここに?」
 夕刻に神殿に帰還して以降、この精霊の姿を全く見掛けなくなっていた。何処かへ去ってしまったものかと思っていたが、なぜ戻ってきたのだろうか。ユイスのその疑問に、精霊は眉間に深い皺を刻みながら答えた。
「イフェン様が呼んでるー。お前ら連れて来いって言われたんだー」
 告げられた名前に、ユイスは一気に目が冴えた。そう、元々はこの精霊を炎の王のもとへ連れて行くことが目的だったのだ。彼づてに声を掛けられたということは、気付かぬうちにそれは果たされていたようだ。その上で自分達を呼んでいるということは、“協力はしてやる”と言っていた件についてと見て良いだろう。応じないわけにはいかない。
 ユイスはすぐさまベッドから這い出ると、傍に用意していた着替えをひっつかんだ。
「すぐに支度する。急ぎ参ると、炎の王に伝えてくれ」
 先だって炎の王と対話した、聖殿の地下深く。再び訪れたその場所で、ユイスは以前と明らかに違う部分を見つけた。
「扉が……」
 半歩後ろに控えるレイアとジーラスが、息を呑んだのが分かった。最奥の間、精霊王を祭る場所。そこへ通じる扉が、開いていたのだ。まるで初めからそうだったかのように、扉だった部分は長方形の穴になっていた。
「入れ、ということか」
「……そのようですな」
 ユイスの呟きに、ジーラスもまた同意した。招かれている。そう確信し、ユイスは意を決して中へと足を踏みだした。
 いざ入ってみると、部屋の中は驚くほど殺風景だった。炎の王が御座す間である、さぞや仰々しい祭壇でもあるのかと思いきや、石の積まれた名残のようなものがあるだけだった。床も壁も岩を掘ってそのままにしたような無骨さで、何も知らずに見れば獄舎かと思っただろう。
「来たか、人間よ」
 不意に、何処からともなく声が響いた。その瞬間、薄暗かった部屋が一気に光と熱で満たされる。前触れなく宙に現れた炎はあまりに眩く、ユイスは咄嗟に目を閉じた。空気が燃え、熱風が渦巻き、火の粉が舞う――それらが静まった頃には、新たな人物がそこに存在していた。
 逞しくもしなやかな体躯は宙に浮かび、飴色の肌に焔の髪がふわりと揺れる。黄金の瞳がユイスの姿を捉えると、彼はその口元を僅かに歪めた。
「約束は、無事に果たしてくれたようだな。何よりだ」
 どこか悪戯っぽいようなその笑みは、あの小さな炎の精霊とよく似たものだった。いや、それだけではない。尖った耳も、持っている色彩も、酷似している。ただひとつ違うのは、人と同程度の身体の大きさをしていることだった。青年の姿は、人間と大差ないものだ。しかし、火炎を纏って現れた有り様と、何より人では持ち得ない程の威圧感が告げていた――彼の者こそが炎の王である、と。
「話はこいつから聞いている。大変だったようだな」
 こいつ、と示された先にいたのは、ユイスを起こしに来た件の精霊である。火事の最中、まるで子供のようにはしゃいでいた面影は鳴りを潜め、今は神妙に口を閉ざしていた。
「彼に炎の王がお呼びと聞き、参じました」
「ああ。眷属が行き過ぎたせいで迷惑を掛けたな。非はこちらにある。すまなかった」
 言葉のわりに、口調は軽いものだった。建前上は詫びておく、といったところだろうか。ユイスは首を縦に振るか横に振るか悩み、結局は黙って低頭した。そんなユイスの態度を気に掛ける様子もなく、炎の王は続ける。
「俺も一度言ったことは守らなくてはな。精霊達と話すための後楯くらいにはなってやろう。次に向かう場所のあてはあるのか」
 横柄に尋ねるその声に、ユイスは数瞬思案してこう答えた。
「……地の神殿を訪ねようと思います」
 次の目的地の候補として、密かに考えていた場所だった。地の神殿はルーナより西、フェルダの町にある。精霊王を祭る神殿では此処から最も近い。片っ端から精霊王を当たっていくとするなら、まずはフェルダを目指すのが手っ取り早いだろう。更に地の神殿は歴史が古く、膨大な史料を擁している。クロック症候群について調べてみるのも悪くないはずだ。
 それを聞いた炎の王は、ほんの僅か考え込む素振りを見せた。しかしユイスが疑問に思うより先に、逸らした視線は元に戻る。
「……ふむ。まぁ、どこへ行こうが結果的には同じ事か。地の精霊は頭が固いからな、お前達が足掻いたところで話を聞くとも思えんが」
 炎の王はそこで一旦言葉を区切ると、横にいた精霊の身体をむんずと掴んだ。いったい何をするのかと思えば、彼はそのまま腕を振りかぶり精霊を投げ捨てたのである。
「うひゃあああっ!」
 間抜けな声で叫びながら、精霊はこちらへ向かって飛来する。そして風を切りながらユイスの顔の横を通り過ぎ、後方にいたレイアの手によってようやくその動きを止めた。

「そいつを連れて行け。名をイルファという。俺の使いだと言えば、少しは交渉もしやすいだろう」
「イフェン様ひどいぞー! あとそんな話初めて聞いたー!」
 どうやらイルファという名らしい精霊が抗議の声を上げる。しかし炎の王がひと睨みすると、たちまち大人しくなってしまった。更に追い討ちをかけるように炎の王は言う。
「今回の件はお前が不用意だったせいだろう。これ以上俺を怒らせたいか?」
「……うう」
 レイアの手の中で唸りながらも、イルファは渋々といった体で頷いた。その不満気な顔を見て、レイアが努めて明るく声をかけた。
「よ、よろしくね! そうだ、なんならビスケットもつけるよ?」
「……本当かー! それ本当かー!」
 最後に付け足された言葉に、イルファの瞳がきらりと光った。レイアとしては恐らく、気まずくならないように、と何気なく言ったことなのだろう。だが彼の目は真剣そのものである。
「う、うん、えーと」
 イルファの勢いに気押されてか、レイアは助けを求めるようにユイスを見た。
「……いくらでもつけよう。精霊を雇う賃金と考えたら、安いものだ」
 肩を竦めながら答えると、イルファは文字通り飛び上がって喜んだ。
「よーし、それなら仕方ないなー! 一緒に行ってやるー!」
 先程とはうって変わって喜色満面のイルファに、ユイスは密かに嘆息した。随分と食い意地の張った精霊である。これは呆れるより他はない。しかし盗み食いをして再び火事になるよりは良いだろうと、ユイスは適当に納得することにした。
「話は纏まったか?」
 頃合いを見計らったように、炎の王の声が響く。ユイスが改めて向き直ると、彼は鷹揚に頷いた。
「存分に扱き使えよ。あとは、精々頑張るんだな」
「お力添え、感謝致します」
 炎の王のどこか気怠げな激励を、ユイスは頭を下げて受け取った。すると、途端に彼の存在があやふやなものとなる。陽炎のように身体が揺らめき、背景との境界が曖昧になったかと思うと、忽然とその姿は見えなくなってしまった。
「行って、しまわれたようですな」
「……ああ。私達も行こう。出立の準備をしなければ」
 話は済んだ、ということなのだろう。ならば長居は無用である。
「ビスケット、忘れるなよー」
「はいはい」
 ビスケットしか頭にないイルファに苦笑しながらも、一行は踵を返したのだった。

   ※

 王子達の後ろ姿を見つめながら、不意に感じた違和感に逆らえずジーラスは足を止めた。この度の盟約は確かに果たされた。精霊王の言葉を疑うなど、愚かなことである。しかし、無視してはいけない何かがそこに秘められていたような気がして、ジーラスは背後を振り返った。
『――どうした、置いていかれるぞ』
 既に何者も存在しないはずの場所から、声ならぬ声が聞こえる。恐らくは、自分だけに届くように。姿の見えぬ相手を、それでも見据えようとジーラスは目を凝らした。
「……あの精霊が人の世界に過干渉だと仰ったのは、貴方のはず。だというのに、なにゆえ人間に連れて行かせるのですか」
 必要以上に人と関わるのを良しとしないなら、炎の王は真逆の行動を取っていることになる。再び似たような状況に陥りかねないのではないか。或いは、更に凄惨な事態も考えられるかもしれない。それとも、そうはならないと彼等をを信用してのことなのか――。
『……ほう。人間にも少しは目端が利く奴がいるらしい』
 全てを見透かしているかのように、炎の王は笑う。その声は、どこか嘲っているような響きにも聞こえた。
『まぁ、丁度よかったからな。自らの愚かさは、身をもって知るのが一番いい。お前達も、かつての罪を思い出すいい機会たろう』
「――罪?」
 問い掛けても、もう声は返ってこなかった。やがて立ち止まるジーラスに気付いたらしいユイスが、不思議そうに呼び掛ける。
「どうかしたか、ジーラス殿」
「……いいえ。さぁ、参りましょう」
 小さく頭を振り、ジーラスは退出を促した。今のやり取りは、自分の胸に仕舞っておくことにする。どの道、彼等の意志は変わらないだろうし――旅をするうちに、その意味を知る時が来るのかもしれない。
 そうして、疑惑の念を封じ込めるかのように、聖殿の扉は閉ざされたのだった。

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