小さな炎 6

 それ以外に、考えられる選択肢は無かった。まさかこんな不意打ちのような形で接触を得るとは思いもよらず、ユイエステルは二の句を継ぐことが出来なかった。緊張のせいか、妙に口渇を覚える。それはユイエステルに限ったことではなく、ジーラスもフェルレイアも声を出すことさえ出来ないようだった。
 そんな様子が滑稽に見えたのだろうか、声の主は低く喉を鳴らして笑う。
『まぁ、好きに呼べばいい。今回は少しマシな奴が来たみたいだな』
「……マシ、とは?」
 付け足された言葉を、ユイエステルは繰り返した。こちらを値踏みするような台詞だが、今回は、と彼は言った。つまり今までの使者――自分の父も含めた彼らを軽んじられたようで、図らずも声が低くなる。
 しかしそんなユイエステルを気にすることもなく、炎の王は飄々と答えた。
『いくらエレメンティアが同行してようが、姿を見せろと言う張本人に力が無いのではな。せめて人間同士と同じくらいのやり取りが出来るようになってから来いという話だ』
 ――随分と無茶な注文をつけてくれるものである。“精霊の声を聞く者”とは言うものの、そこまではっきりと意思の疎通が出来るエレメンティアは稀である。大陸中を探しても、恐らく片手で足りるだろう。殆どはなんとなく存在を感じ取れる、という程度なのである。そしてその能力は完全に先天的であり、努力で磨けるといったものではない。
 しかし、それならば此処にきた意義がある。“聖女”と謳われるフェルレイアには及ばずとも、ユイエステルはエレメンティアとしての素質に恵まれていた。明確に精霊の姿を認識し、会話をすることも出来る。
「それが条件ならば、私は問題ないでしょう。――お願い申し上げたい事が、あります」
 ユイエステルの発言に何を思ったのか、炎の王は束の間口をつぐんだ。精霊王がこうして人と会話するでも前代未聞、更には嘆願しようと言うのである。機嫌を損ねたとしても何ら不思議ではなかった。
 固唾を飲んで次の言葉を待つユイエステルに、炎の王はいかにも気怠げに答えを返した。
『……仕方ない、これ以上騒がれるのも堪らないからな。話くらいなら聞いてやらなくもない』
「――有り難う、御座います」
 扉に向かって低頭しながら、ユイエステルは密かに息をついた。第一関門突破、といったところか。彼の気が変わらない内にと、ユイエステルは早速口を開いた。
「クロック症候群について、お尋ねしたいのです」
『クロック……なんだって?』
 訝しげな声が響く。思えば“クロック症候群”と勝手に呼んでいるのは人間だけである。精霊相手に通じるものではないのかもしれない。そう思い直したユイエステルは、改めて言い直した。
「時間が狂ったように急速に身体が老いたり若返ったりする現象が、人の世で蔓延しています。そのせいで多くの者が命を落としました。手は尽くしましたが、とても人の手に負えるものではありませんでした。どうかその御力をお貸しください」
 しかし、ひとしきりその内容を聞き終えた精霊王の返答は、非常に素っ気ないものであった。
『――さて、知らんな』
「……は?」
 思わず、口から間抜けな声が零れる。今、彼は何と言ったか。ユイエステルは耳を疑った。
『そんなものは初耳だが、まぁ俺達には何の影響も無さそうだ。救う手立てが無いなら、それも人間の定めなんだろう』
 軽く言ってのけた精霊王の言い分は、あまりにも無情だった。言葉に詰まったユイエステルより先に、フェルレイアが声を上げる。
「そんな! それじゃあ殿下は……」
 最後まで続かなかったそれは、ユイエステルの身を案じるものだった。それをどこか遠くに聞きながら、ユイエステルはようやく言葉を絞り出す。
「……人に、滅べと仰いますか」
 予想以上に、低い声が出た。言下に扉を睨み付ける。
 次々に巻き起こった惨く奇怪な現象に、これは創造神による天命なのかと思ったこともあった。しかしそれで全てを納得するには、あまりに唐突で不条理である。人々は信仰心を忘れず、ここ数百年は大きな争いもなく慎ましく暮らしてきた。天の逆鱗に触れるような事は無かったはずだというのに、受容して滅べなど理不尽すぎる。
『怨み言を言われてもどうにもできん。俺の司る領域の事なら原因も判るかもしれんが、そうじゃないからな』
 ユイエステルの憤りを感じ取ってか、ため息混じりに炎の王は言った。知らない、というのはそういう意味も含まれていたらしい。その言葉に、ユイエステルは俯き唇を噛み締めるしかなかった。
『解ったら早々に立ち去るんだな。まぁ、他の精霊なら何か知ってるかもな』
「他の精霊……」
 呟き、ユイエステルは己を奮い立たせた。炎以外にも、精霊王は存在する。他ならぬ炎の王が言うのだから、望みが断たれたわけではない――そう自分に言い聞かせた。易々と挫折するわけにはいかないのである。
『――そうだな。良いことを思い付いたぞ』
 唐突に、炎の王の声が高くなる。いかにも煩わしいといった様子から一変、どこか愉しげにも聞こえた。
『俺自身はどうにもできない。が、他の精霊に会いに行くなら、その為の協力はしてやらなくもない』
「……本当ですか!?」
 告げられた内容に、ユイエステルは弾かれたように顔を上げた。それに対し、声は居丈高にこう続けた。
『本当だとも。但し条件がある』
「条件……」
 その単語に、唾を嚥下する。確かに、なんの対価もなく力を貸してもらおうというのは虫のよすぎる話だ。それを呑むことに否やはない。しかし精霊王の提示する条件とはどんなものなのか――身を堅くするユイエステルの心情とは裏腹に、炎の王は軽い口調で言った。
『大したことじゃない。最近、少しばかり悪戯の過ぎる同胞がいてな……そいつを捕まえてもらいたい』
「精霊を、ですか」
 彼が同胞と称するならば、そうであろう。人間からしてみれば信仰の対象であり、畏敬を抱く存在の精霊を“捕まえろ”とは。無論ここで引き下がる気は無いが、充分に大したことである。
『どうも、人間の世界に過干渉なんだよ。街中で悪さをしているもんだから、こちらもなかなか手が出せない』
「……最近、ルーナで火事騒ぎが続いているといいます。もしやそれでしょうか」
 思い当たる節があったのか、無言を貫いていたジーラスがそう指摘した。どうやら的を得ていたようで、炎の王の声に喜色が滲む。
『おお、多分それだな。そういうことだから、頼んだぞ――ああ、そういうことなら』
 そのまま話を締め括りかけたところで、思い出したように炎の王は付け加えた。『俺の名を教えておいてやろう。イフェン、だ』
 その発言に、ユイエステルは目を見張った。精霊王の名乗りを受けるなど、歴史の上でもかつて無い話である。どの文献にも精霊王の名など記されてはいないのだ。
『流石に素直に捕まりはしないだろうが、俺の名前を出せば少しは大人しくなるだろう。あとは頼んだぞ』
 こちらの動揺に頓着する様子もなく、それ以降炎の王――イフェンの声が聞こえてくることはなかった。この上なく希有な会話をしていたはずだが、随分あっさりと話を打ち切るものである。それとも、そんなことを感じているのはこちらだけなのだろうか。
 ともあれ、これでするべきことは決まった。その悪さをしている精霊とやらを探さねば。
「……とりあえず、街に出てみるか」
「それが良いでしょうな。フェルレイア」
 ジーラスに呼ばれ、フェルレイアは心得ているといった体で背筋を伸ばした。
「はい。……殿下、私もお供致します。精霊に呼び掛けるのは得意ですから」
「ああ。ありがとう、お前がいてくれるなら心強い」
 フェルレイアの申し出に、頬が弛む。精霊王ともなれば話は違うが、普段見掛ける精霊達なら彼女以上に頼りになる存在はない。ユイエステルの言葉に、フェルレイアも照れたように微笑む。
「じゃあユイス様、早速支度を――あっ」
 しまった、というようにフェルレイアは口元を覆った。すっかり気が緩んだのだろう、“ユイス”という呼称が再び口から出てしまったのである。
「フェルレイア……」
 今にも渋面で説教を始めそうなジーラスだったが、ユイエステルは意図的にそれを遮った。
「構わない、ジーラス殿。街中で“殿下”を連呼されても困るからな。この方が良いだろう」
 今まで一人旅だったためあまり気にしたことはなかったが、身分を隠している以上殿下呼ばわりは考えものである。本気で王子と思う人間は居らずとも、奇人変人の類いに見られることは間違いない。全く違う名で呼ばれるのも違和感があるし、それなら昔からの愛称で呼んでもらった方が余程いい。
「それは、その通りですが……いいえ、殿下がそう仰るのであればこれ以上は言いませぬ」
 ユイエステルの主張に、ジーラスも一応は納得の意を示した。それを見たフェルレイアはあからさまに安堵の息をつく。出来る限り喰らいたくない程度には、彼の雷は恐ろしいのである。
「決まりだな。ああ、そうするとフェルレイアも考えた方がいいか……」
 精霊と心を通わす聖女として、フェルレイアの名もそれなりの知名度がある。目立ちすぎて動きにくくならないためにも、別の呼び名を考えるべきだろう。だが困ったことに、彼女はお世辞にも嘘が得意とは言えない性分だ。それを考慮に入れると、やはり完全な偽名は好ましくない。
 暫し考え込んだ後、ユイエステルは一つの結論を出した。
「そうだな。私も昔の渾名で呼ぼうか。レイア、と」
 フェルレイアと初めて出会った時、幼い彼女は舌足らずに自分の名を縮めて呼んでいた。その頃の愛称だ。構わないかと問えば、フェルレイアは花の綻ぶような笑顔で応えた。
「もちろん、ユイス様のお好きなように」
「……話は、纏まりましたな。早々に支度を整えると致しましょう」
「ああ」
 ジーラスの言葉に、深く頷き返す。その通りである。行動は早いに限る。
「では早速行こうか――レイア」
「はいっ!」
 そして、ユイスとレイアは街へと繰り出した。

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