決別 5

 以前の旅路がだいぶ大回りだったことを考慮しても、今回の遺跡への道行は早いものだった。効率だけを重視して神殿にも立ち寄らず、以前は控えていたが多少権力を振りかざすような真似をすれば、目的に数日で辿り着いてしまった。こうなると、紗に隔てられたように遠い存在だった亡国も存外身近なものに思えてくる。
「それにしても、派手にやったものだな」
 足を踏み入れた遺跡を見渡し、ユイスは溜息交じりに呟いた。改めて眺めた景色は初めて訪れた時とは大きく異なっている。そこかしこの地面が抉れて焦げたように黒くなり、辛うじて形を残していた筈の遺物も一部が吹き飛ばされていた。ついイルファに恨めしげな視線を送るが、彼は飄々と答えた。
「仕方ないなー。やれって言われたし」
「……まぁ、その通りだな」
 遺跡の保存に気を遣っていられるような状況ではなかったとはいえ、身から出た錆である。この惨状がイルファおよびシルの力によるものであっても、そう仕向けたのはユイスだ。
「肝心の資料が無事ならいいんだが」
「それですが、どのあたりにあるのかは分かるんですか?」
 横から訊ねたのはレイアである。ここまでの道中で気まずさが嘘のように――とまではいかないものの、沈黙を挟まず滑らかなやり取りができる程度まで関係は回復していた。
「白状すると、勘で探すしかない。場所を教えてくれたわけではないからな」
「そんな気はしてました」
 目を伏せたレイアは呆れてしまったかのようにも見えるが、声からはさほど落胆は伝わってこない。きっと自分と似たような心境なのだろう。精霊達は重要な部分をぼかした情報しか与えてくれない。旅の始まりからそうだった。試され、拒絶され、時に敵対し、それでもユイス達は真実まで行き着いた。ならばシルの導きも決して無駄にはならないし、するつもりはない。どうせ他にあてもないのだ。開き直ったなら、あとは行動あるのみである。
「ひとまず建造物の跡を調べていくか。何かあれば教えてくれ」
「分かりました」
 頷きあうと、レイアは近くに見える瓦礫の山まで駆け出した。イルファも何とはなしに周囲を見てくれるようだ。彼がいれば何か危険があっても察知が早いだろうし、精霊の目でしか分からないこともあるかもしれない。彼らとは反対方向に進み、ユイスもまた手近な場所から王国の痕跡を探り始めた。
 かつての主都だけあって、遺跡はかなり大規模なものだった広々と横たわる荒れ野から緩やかに連なる丘、恐らくその向こうまで含まれるだろう。足元に転がった石の破片を手に取ってみると、風の精霊と思われる彫刻が微かに残っていた。他のものもいくつか調べてみると、やはり精霊信仰を示すものが見つかった。これは現在でも似たような意匠が使われている。この辺りに神殿があったのかもしれない。ならば史料の痕跡でも見つからないかと目を凝らすが、そう簡単にいかないのが現実だ。一口に神殿といっても、フェルダの地の神殿のように多くの史料を擁している所もあれば、小さな聖堂だけの祈りにしか使われない所もある。栄えている街ならそれらが混在していた可能性もあるし、今ユイスが見つけたここがかつての中心的な神殿とは限らないのだ。
 何度も同じような期待と落胆を繰り返し周囲を調べていく。遺跡全体の大きさを思えば途方もない作業だった。本当に見つかるのだろうかと、ここまで来ておきながら弱音が胸の内に浮かんでは消えていく。
 ――しかし、天は時として気まぐれに人に味方するものである。
「ユイス様! こっち見てください!」
 そうレイアが興奮気味に叫んだのは、遺跡の探索を初めて三日目のことである。仮の寝床に定めた、辛うじて壁が残っている建造物からさほど離れていない場所だった。
「これは……」
 地面には、巨大な獣が爪を研いだかのような深い溝が並んでいた。いや、爪痕に例えるには些か規則性に欠くだろうか。方向も深さも不揃いないくつもの傷が大地を抉っている。元々の地形ではなく、シルとイルファが戦った末の産物だろう。中には人が落ちれば上がって来れないほどの深さのものもある。レイアが示したのは、そのうち一つの溝の内側に覗く岩盤だった。
「ここからだと分かりにくいんですけど……イルファ、お願い」
 レイアの合図に従い、イルファが溝の底まで下っていく。指示された場所まで辿り着くと、彼は人の頭ほどはあろうかという火の玉を作り出した。膨れ上がったそれは軽快な音を立てて弾け、暗がりの中の情報を光で暴き出す。
「精霊の彫刻、か?」
 暗闇が照らされたのは一瞬だったが、炎が作り出した陰影の中には美しく微笑む精霊の横顔が見えた。溝の底から舞い戻ったイルファが得意気に胸を張る。
「おれが見つけたんだぞー」
「この辺りの溝に、同じようなものがいくつかあるみたいなんです」
 レイアの言葉に、ユイスは改めて周囲を見て回った。彼女の言う通り、比較的近くにある溝でも似たような岩盤が散見された。精霊の意匠は他の場所でも見受けられたが、これだけ固まって大きなものがあるとなると建造物の一部、或いは全体が地面に埋もれていると見て間違いないだろう。しかし近くに中に入れそうな入り口は見つかりそうにない。恐らくはそれも土の下なのだろう。
 半端に顔をのぞかせたへレスの遺物を見つめながら、ユイスは暫し考え込んだ。調べるにしても、中に入れなければ無意味である。ここで時間を取られるくらいなら他の場所に目を向けた方がいい可能性もある。必ずしもこの中に手掛かりがあると決まったわけではないのだから。しかしここまで完全に土に隠されていたならば、盗掘や風化からも守られているだろう。無視して進むのはやはり躊躇われる。思案の末、ユイスはイルファに視線を向けた。
「イルファ。ひと思いにこの辺りに地面を吹き飛ばしてみてくれないか」
「え!?」
 目をむいたのはレイアである。言いたいことはよく分かったが、ここは目を瞑ってほしい。
「もちろん、肝心の遺跡を吹き飛ばさない程度の力加減は頼むぞ。ビスケットは余分につけておこう」
「……むー、難しいこと言うなー。やってみるからちょっと離れてろー」
 一瞬顔を顰めかけたイルファだったが、容易くビスケットの誘惑に負けてくれた。戸惑ったままのレイアを連れて、足早に距離を取る。範囲を考えればそれなりの規模の爆発になるだろう。何か遮蔽物のある場所がいい。
「いいんですか、ユイス様。時柱の資料を抜きにしても、価値のあるのもなんじゃ」
「散々遺跡を痛めつけた後だ。余罪が多少増えたところで何も変わらない。手段を選んでいる時間も惜しいしな」
「……中身まで壊れなければいいんですけど」
 手頃な壁の残骸を見つけるとその陰にレイアを押し込み、ユイス自身も共に身を隠した。爆音に備えて耳を塞ぐ。レイアも不安がっているし自分も釘を刺したが、実のところあまり心配はしていなかった。何度かイルファにこの手の頼み事はしているが、彼は一度として過剰な力を振るったことはない。流石は次代の精霊王、といったところか。今回も上手くやってくれるはずだ。

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