決別 6

 ほどなくして、頭を揺さぶられるような轟音が辺りに響き渡った。大地が震え、吹きすさぶ爆風で遺跡の一部が崩れ瓦礫が飛ぶ。身構えていてもかなりの衝撃だった。身体が痺れるような感覚がようやく治まると、ユイス達は隠れていた壁から外側を覗き見た。つい先ほどまで平地だった一帯は大きく円を描くように陥没し、中心に向かってなだらかな下り坂になっている。肝心な部分は未だ土煙に隠されていたが、成果はこちらの姿を探し当てたイルファが自ら教えてくれた。
「ちょっと壊れたなー」
「……ちょっと、がどの程度かが問題だな。とりあえず見に行こう」
 視界が晴れるのを待って、ユイス達は爆発の中心へ向かった。待ち構えていたのは、やはりかつての壮麗さが見て取れる建造物だった。流石に全容を表すまでには至らなかったようだが、ちょうど建物の角にあたる部分が露出している。そして、その角を削り取るかのように巨大な穴が開いていた。イルファの言う『ちょっと壊れた』はこれのことのようだ。
「ここから中に入れそうだな」
 却って好都合だったかもしれない。どの道、入り口が分からなければ似たような行為を繰り返さねばならなかった。繰り返し衝撃を与えればそれだけ内部の破損も酷くなる。だがこれなら崩れた部分の瓦礫を越えれば侵入出来そうだ。ユイスの言葉に三者揃って頷くと、早速中へ向かって足を踏み入れた。イルファが破壊した壁は存外堅牢な造りであるようで、爆発の被害を受けた場所以外は崩れる様子はなさそうだ。不安定なのは足場だけで、それを乗り越えてしまえば予想以上に広々とした空間が広がっていた。内部も相当に凝ったものだったようだ。欠けた柱一つ見ても、暗闇の中に精緻な造りが浮かび上がる。積もった埃と散らかった瓦礫さえなければ、現在の大規模な神殿や城と比べても遜色がないだろう。これは大当たりだったかもしれない。当時の書物の一つや二つは残っていそうだ。
 ユイスは近くの瓦礫を漁っていくつか棒切れを見繕うと、荷物の中から適当な襤褸布を選んで巻きつけた。奥に進むには明かりが必要だ。油がなかったが精霊の炎なら大丈夫だろう。
「イルファ、火を」
「おー」
 軽く請け負ったイルファが手をかざし、即席の松明に赤々とした火が灯る。一瞬大きく揺らめいた炎が照らしだす光景に、ユイスは息を呑んだ。
「これは……どういうことだ」
 幻でも見ているのだろうか。それとも、今しがたまで見ていたものが幻だったのだろうか。土の下に埋もれた遺跡は消え失せていた。ユイスが立ち竦んでいるのは絢爛たる一室である。天井から吊り下げた照明は雫型の硝子が煌めき、設置された調度品の類はよく磨かれ、そのどれもが部屋に馴染み優美さを形作っていた。ここは本当に先程までいたのと同じ場所なのだろうか。そう警戒しながら辺りを見回すと、壁に飾られた肖像画が目に付いた。一番目立つものにはあどけない少女の姿が描かれている。額縁の装飾の華やかさから見ても、持ち主の入れ込みようが窺えた。絵の具の色は目にも鮮やかで、こちらも劣化を感じさせる要素は全くない。おかしい。ここは少なくとも数百年は人の手が入っていないはずなのだ。
「――へレスもここまでか」
 不意に響いた声に、ユイスは身を固くした。男の声だった。勿論イルファでも、レイアがふざけているわけでもない。恐る恐るそちらを振り返ると、深紅の天鵞絨のソファに腰掛ける人物がいた。声を発したであろう長い金髪を結わえた男と、それに寄り添う若草の髪をなびかせる女性。その姿に、ユイスは目を疑った。
「――シル!?」
 堪らず叫んだ直後、しまったと口を塞ぐ。しかしユイスと彼らの視線が交わることはなかった。ソファの二人はこちらの存在を気に留める素振りもなく、神妙に会話を続けている。
「親が子を思うことの何がいけなかったというのだ。あんな寂しい神殿に生涯閉じ込められ、日々の喜びもなく時柱に奉仕するだけの生など」
 男が低く呻いた言葉に、ユイスは驚きを禁じ得なかった。時柱と、男は確かに言った。それも文脈からして彼の子が何らかの形で関わっているようだ。どこかで聞いたような話である。まさか、と思いながらもユイスは彼らの話に耳を傾けた。
「ああ、けれど確かに私は愚かだった。結果的に姫はいっそう惨い仕打ちを受け、多くの民が命を落とした。だが、それでも」
「分かってる、ヴァルト」
 シルが口にした名に、ユイスは奥歯を噛みしめた。驚愕する以上に、納得できるという感情の方が強かった。ユイスが知っているヴァルトはエルドの身体に宿ったものだったが、きっとこれが本来の姿なのだろう。時柱に関わっていた、それにシルが寄り添っているというなら間違いがあろうはずもない。少しやつれた、壮年のへレス王――しかし彼は過去の亡霊に過ぎなかったはずだ。エルドが既に己を取り戻したことは確認している。ならばこれは、過去の光景なのだろうか。
 馬鹿馬鹿しい、と頭を振りかけて、ユイスは思いとどまった。有り得ないと断じるには、これまでの旅で様々なものを見聞きしすぎていた。それに、一時的とはいえこの遺跡には時柱の結晶が隠されていた。その影響と考えればおかしくはない。彼らがこちらを認識しないことにも得心がいく。
「お前は止めなかったな、シル。お前ならこうなることは予測できただろう?」
「止めたなら話を聞いてくれたの?」
「いや、変わらなかっただろうな」
 会話は尚も続いている。口元を緩め、ヴァルトは自嘲した。笑みの下に激情のような、狂気のような熱をちらつかせ、しかし吐き出す息は諦念に彩られていた。
「どの道へレスはもう虫の息だ。彼女たちの制裁は容赦なかったし、民は私を許さないだろう。やれるだけのことはやった。この首くらいは大人しくくれてやるさ」
 ヴァルトの言葉を待っていたかのように、突如として怒号と、悲鳴が響き渡った。陶器が割れる音。金属が打ち合う音。地鳴りのように迫りくるそれらは、驚くほど近くで聞こえた。なぜ気付かなかったのだろう――いや、ヴァルト達は初めからずっとこの音を聞いていたのだろう。これは遥か時の彼方の幻。その幻がユイスに見せる時機をいまに選んだというだけだ。
「……私は最期まで傍にいる」
「物好きな精霊だ。だが、感謝しておく」
 鼻白んだような物言いだったが、そこには確かに安堵の響きがあった。揺るぎない絆を結んだ相手に看取られるのは、一つの幸福なのかもしれなかった。彼が本当に望んでいた結果が得られなかったのだとしても。
「いつか魂が巡れば、また出会うこともあるでしょう。その時こそは、貴方の望みを叶えてあげる」
 ヴァルトと向かい合ったシルの顔は見えなかった。ただ、相対する男の表情が微かに和らいだ様は、二度と忘れられそうになかった。
 扉を蹴破る音がした。銀の鎧をまとった精鋭たちが雪崩れ込む。彼らの荒々しい足音に呼応するように、ユイスの視界も揺れ始める。景色が歪み、変色し、違う何かが重なって見える。混沌とした光景の中で、兵士の中の一人がヴァルトに向かって剣を掲げ――そこで、幻は霧散した。
「今のは……」
 明滅する視界に目を瞬かせ、頭を振る。再び顔を上げた時には、優美なへレスの城の面影はそこにはなかった。崩れた壁。積もった瓦礫と埃。ユイス達が踏み入った遺跡に違いなかった。思わず背後を振り返れば、そこには色を亡くしたレイアの姿があった。共にいるイルファも心なしか戸惑っているように見える。彼女らも同じものを見ていたのだろう。言葉を失ったユイス達の間を、冷涼な風が吹き抜けていく。実体はないはずなのに、まるで絹の布が撫でていくかのような感触があった。この先へ進め、と促すように。
「行こう」
 消えかけていた松明に再び火を灯し、ユイス達は地下遺跡を歩き始めた。迷うたびに導くような風に吹かれ、坂を下り、穴の開いた床を降りて、風はやがて一つの扉を示し他の空気に同化して消えていった。眼前の扉は他に残存するものより二回りほども大きく、その重要性を主張しているようだった。上部にある鳥の紋章は古くから知恵の証として親しまれているもので、エル・メレクの城でも使われている。
「開けるぞ」
 レイア達が頷くのを待って、ユイスはついに扉に手をかけた。昂る感情を押さえながら力を込めると、存外扉は滑らかに道を開いた。古びた匂い。薄明りに照らされる並んだ背表紙。室内を照らすほどに明らかになる広大な古の書架に、ユイスは喉を鳴らした。シルの導きは確かだった。求めていたものがここにある。
「松明がもっと必要だな。とりあえずそれらしいものを抜き出していこう――なにがなんでも、道を見つけて帰る。いいな、レイア」
「……はい!」
 互いに力強く頷きあうと、ユイス達は時を忘れて資料探しに没頭した。

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