影に住むもの 4

 ゼキアは苛立っていた。そしてそれを隠そうともせず、大股で歩きながら時に小石を蹴飛ばし、その眉間には深い皺が刻まれていた。そんな彼の後ろを小走りで追いかけるルアスは、既に何度か口にした疑問を再び投げ掛けた。
「ねぇ、ゼキア……まだ怒ってるの?」
「当たり前だろうが!」
 振り返った彼はやはり不機嫌を露にし、声には怒りが滲み出ていた。
「というかだな、本来ならお前が怒るとこだろ!なんで平然としてんだよ!」
「う、うん……そうなんだけどさ」
 捲し立てるゼキアに少々気圧されながら、ルアスは苦笑した。
 事のあらましはこうである。ゼキアの家に向かうと話が纏まった後、二人は一度マーシェル学院へ立ち寄った。せめてルアスの故郷の連絡先か何かが分かれば今後のことも考えやすいだろう、というゼキアの提案からだった。しかし受付で事情を説明し待つこと数十分。返ってきたのは「そんな生徒は存在しない」という答えのみだったのだ。無論抗議したが相手は主張を変えず、最終的につまみ出されてしまったのである。ルアスが嘘をついている可能性も無いわけではないが、今までの会話での抜けっぷりと、学院の返答を聞いた後の落ち込んだ顔は、人を騙そうとしている人間の仕草ではなかった。
「あーもう! 何で俺ばっかりイライラしてんだよ!」
 ゼキアはついに頭を抱えてしまった。確かにルアスも少なからずショックを受けている。しかし学院を出てからのゼキアのあまりの剣幕に自分が怒るタイミングを逃してしまったというのが本当の所である。
「……確かにショックだし、ちょっと腹も立つけど……でもずっと怒ってても仕方ないし」
 宥めるようなルアスの声に、納得いかないといった顔をしながらもゼキアはようやく声を少し和らげた。
「まぁ、そりゃそうなんだがな……当の本人は平気な顔してるし」
 そろそろ馬鹿馬鹿しい、とゼキアは肩を落とした。少し落ち着いたらしいのを確認し、ルアスはこれ幸いと話題転換を図った。
「それはとにかく、ゼキアの家ってまだ先なの?」
「いや、そろそろだ。次の角を右に曲がったとこ」
 今歩いている道は、華やかな王都のイメージとはかけ離れた場所だった。土が剥き出しになっている地面に、建ち並ぶ民家はどれも質素というよりは粗末ですらあった。所々壁に穴が開いていたり、窓がひび割れていたりする。空気はどことなく埃っぽい。賑わっていて活気のある市場や大通りとは全く違うが、ここは間違いなく王都の一部の――貧民街と呼ばれる場所だった。
「ルアス? 何ぼーっとしてんだ、ぶつかるぞ」
 歩きながら改めて辺りを見渡したルアスは、ゼキアに頭を小突かれて意識が遠くへ行っていた事に気がついた。
「ごめん。あまり様子が違うから、つい」
「だから粗末でも文句言うなって言ったんだよ……これが王都の現状だ」
 ゼキアの口調は責めるようなものではなかったが、思わずルアスは再び謝った。貧民街の人々を見下しているように思われたくなかったのだ。
「ごめん。そういうつもりじゃなかったんだけど……」
「気にしてねーよ。戸惑いもするさ、そんだけ貧富の差が激しいんだよ……着いたぞ」
 話しているうちに目的地であるゼキアの家に着いたようだ。ゼキアが視線で示す先を見れば。二階建ての小さな建物があった。石造りが主流の王都では珍しく木造だ。その姿は貧民街の他の民家と同様に美しいとは言い難かった。くすんだ赤い屋根は何ヵ所も違う色の板がつぎはぎになっており、何度も修理しているのが見てとれる。家を構築している木の板も、かなり古いものなのか所々に隙間が空き、断熱の役割を果たしているようには見えない。しかしルアスはそれらよりも目を引かれる物があった。
「……看板?」
 立て付けがが悪いのか、斜めに傾いて見えるドアに打ち付けられた釘に、楕円に加工された木のプレートが引っかけられていた。ちょうどルアスの肩幅くらいの大きさだ。表面には加工に不慣れな者が刻んだのが窺える、荒っぽい字が彫られていた。
「“ライトランプ”……お店、なの?」
「おう」
 ゼキアは短く答えると看板の横に立ち、それをノックするように軽く叩いて強調して見せた。
「よろず屋ライトランプ、屋根の修理から“影”退治まで!ってな。まぁ何でも屋みたいなもんだな」
「“影”って……騎士団の管轄じゃないの?」
 “影”というのは通称で、神話にもでてくる闇の魔物のことである。人を襲い、喰らうことで知られている。民間人が襲われればひとたまりもないが、幸い夜行性で光に弱く、街灯なども嫌うため街中で出くわすことはまずない。それに万が一の事があればマーシェル騎士団が対応するはずだ。しかし騎士団、という言葉を聞いたゼキアの表情は苦いものだった。
「言っただろ。基本的にあいつらの“守る”対象に俺たちは入ってない。この辺は街灯もないし、夜は危険だ。」
 お前も気を付けろよ、と言いながらゼキアはドアに手をかけた。
「まぁそれはともかく入れよ。散らかってるけどな」
「あ、うん。お邪魔します……」
 軋んだ音を立てるドアをくぐり、ゼキアの後ろに続いた。しかし、一歩踏み入れた途端に足が止まる。
「……店?」
 先程とは違った意味で、まるで確認するようにルアスは呟いた。対してゼキアは少々気まずそうな顔で黙ったままだ。
「ごめん、ゼキア……散らかってる、なんてレベルじゃない気がするよ……」
 ドアの先の店の状態は酷いものだった。少々埃っぽいのは、いい。換気をすればどうにかなる。カウンターとおぼしき場所といくつかの棚には、商品なのであろう雑貨やその他諸々が陳列されている……というよりごった返しているのも、まだいい。しかし壁際を埋め尽くしている山と積まれた本や、何が入っているのか分からないような箱や袋などが天井まで届きそうになっているのは何なのか。床の大部分までもが侵食され、歩くにもそれらを跨いで転ばないようにするのが精一杯だ。奥の方に階段が見えるので居住スペースは二階のようだが、まさかそこもこんな惨状なのだろうか。想像すると頭が痛い。
「まぁ、その…片付けなきゃいけない自覚はあるんだが」
 ようやく口を開いたゼキアは、視線を合わせようとしない。親に叱られている子供のようである。
「ごめんね。助けてもらって、泊めてもらうのに文句言うつもりじゃなかったんだけど……」
 ルアスは申し訳なさそうに言葉を続けた。
「……掃除、手伝わせてもらっていいかな。宿代代わりというにはなんだけど……」
 一応問いかけの形にはなっていたものの、ルアスの中でそれは決定事項であった。

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