影に住むもの 5

「ふぅ……自分で言ったのはいいけど、途方もないなぁ」
 持っていた荷物を一度床に下ろし、ため息をついた。今、ルアスは一人店内の荷物と格闘していた。途中までゼキアも居たのだが、彼が片付けようとすると余計に惨事になると気付いた時点で自分がやるから、とルアスが二階に追いやったのである。人の家に上がり込んで失礼なことをしているような気もしたが、ゼキアは意外と抵抗なく承諾してくれた。自分でも言っていたが、室内が酷い環境である自覚と……片付けたい気持ちも一応あるらしい。しかし自分でやると状態が悪化する一方なので諦めた、とは本人の談だ。
「おじさん達をやっつけた時はかっこよかったのになぁ……」
 屈強そうな男二人をあっさりとのしたゼキアには憧れのような気持ちすら抱いた。ルアス自身が武術の類いの才に恵まれていないので余計にである。しかし家を見てみればこの有り様である。
「まぁ、いいか。お陰で僕もできることがあるんだし」
 少しばかりがっかりもしたが、役に立てることがあるのは嬉しかった。親切にしてもらっておいて何も礼が出来ないのは、やはり居たたまれなかったのである。
 ――それに、他の事をしていたほうが先の事を考えなくて済む。今後の見通しが全くつかない今の状況は、ルアスの不安を煽った。いつまでも世話になるわけにもいかないのだし、自分でどうにかしなければならないと解ってはいたが――どうしても不安ばかりが溢れ出てしまい、考えが纏まらなかった。
「……よし、まだ沢山あるし、頑張ろう!」
 気を抜くと胸の内を侵食し始めるそれを振り払い、次の山に取り掛かろうとした――その時。バンッ! という背後の大きな音にルアスの心臓は飛び上がった。
「ゼキアー! 遊びに来てやったぞー!」
「あそびにきたよー!」
 ドアを壊しそうな勢いで店に飛び込んできたのは、二人の幼い子供だった。茶色い癖っ毛で、鮮やかな緑の瞳を大きく見開いてこちらを見ている男の子と、その後ろに隠れるようにしている女の子だ。年の頃は七、八歳くらいだろうか?女の子の方はもう少し年下に見える。顔立ちも似ているところを見ると兄妹なのだろうか。
「……誰だ?オマエ」
 思わず二人を凝視していると、男の子が不審そうに問いかけてきた。
「あ、僕は――」
 慌てて説明しようとしたルアスの言葉は、誰かの声に遮られた。
「……でかい音が聞こえたと思ったらやっぱりお前らか!ドアが壊れるからやめろって言ってるだろーが!」
 ゼキアだ。どうやら騒ぎを聞きつけて下に降りてきたらしい。言いながら二人に近寄ると、軽くゲンコツをくらわせた。イテ、と小さく声を上げた子供たちはわざとらしく頭をさすりながら口を尖らせた。
「なんだよ、せっかく来てやってるのにさぁ!てかコイツ誰?」
 男の子はルアスを指差し、再びそう訊いた。子供らしい横暴さに少々たじろぎながらも、ルアスは少し屈んで視線を合わせ、自己紹介することにした。
「えっと、僕はルアスっていうんだ。ちょっと色々あってゼキアの家に泊めてもらうことになったんだ。よろしくね」
 それを聞いた男の子はきょとんとした顔になった。
「へ?それじゃお客さんなの?てっきり空き巣かなんかだと――いってぇ!」
 そこまで言いかけた男の子に、再びゼキアのゲンコツが見舞われた。今度は先程よりやや強めだ。
「……悪いなルアス。こいつはネル。後ろにいるのが妹のルピな。近所の子供なんだが、しょっちゅう店の営業妨害しに来るんだよ」
「ゼキアのおみせ、おきゃくさんこないからボーガイじゃないよ」
 ゼキアの説明に思うところがあったのか、後ろでおとなしくしていたルピが口を開いた。それに便乗してネルが畳み掛ける。
「そーだよ!いつも暇そうにしてるから遊んでやってんだろー!」
「誰も頼んでねぇよ!三回もうちのドアを壊してる時点で充分妨害だ!」
 ……客が来ないことを否定しないあたり、暇なのは事実らしい。確かに貧民街というのは立地条件が悪いだろうが、一番の原因は混沌の海のような状態の店にあるのではないだろうか。ルアスは思ったが、とりあえず拍車がかかり始めた二人を宥めることにした。
「まぁまぁ、少し落ち着いて……今日のところはドアも無事みたいだし、いいじゃない」
 果たして宥めているのか何なのか、という台詞ではあったが、ルアスが間に入ったことで二人はとりあえず口をつぐむことにしたようだ。睨み合っていた視線を外し、ネルは少し膨れっ面になった。
「……とりあえずお前ら、今日はもう帰れ。早くしねぇと日が暮れるぞ」
 ゼキアが親指で示す窓を見れば、くすんだガラスの向こうに橙色に染まり始めた空が見えた。
「あ、もうこんな時間なんだ」
 家に着いた頃はまだ日が高かったはずだが、片付けやネル達とのやり取りで随分時間が流れていたようだ。
「お兄ちゃん、お母さんにおこられちゃうよ」
 ルピが兄の服の裾を引っ張り、不安げに言った。
「夜になるとカゲがでてきて、たべられちゃうんでしょ?」
 自分の言葉で恐怖が増してきたのか、つぶらな瞳を潤ませ今にも泣き出しそうである。
「泣くなよ、もー!」
 それを見たネルは慌てて妹を宥め、ゼキア達に向き直った。
「しょうがねーな! 珍しく客も居ることだし、今日のところは帰ってやるよ」
 ネルはふんぞり返ってそう宣言すると、ルピの手を取り、ドアへ向かって駆け出した。
「ほら、いくぞルピ! じゃあなー!」
「う、うん、またね!」
 挨拶もそこそこに、来た時と同じようにドアを蹴破らん勢いで二人は帰っていった。……その少し後に響いたガタン、という何かが外れたような音に、ゼキアはもう姿の見えない兄妹に向かって悪態をついた。
「だからドアを壊すなっつってんだよクソガキ! 四回目だぞ……」
「なんだか、嵐みたいだったねぇ」
 何回修理させるつもりだ、とがっくり肩を落とすゼキアに、ルアスは苦笑しながら声をかけた。
「迷惑の嵐だな」
「でも、なんだか楽しそうだったね」
 営業妨害だ迷惑だと言いながらも、ゼキアの声色は始終明るかった。ルアスの目には歳の離れた兄妹たちがじゃれあっているようにも見えたのだ。
「……物さえ壊さなきゃな。別に子供は嫌いじゃないし」
 どことなく憮然としながらゼキアは答えた。否定はしないものの、素直に認めるのも嫌らしい。
「ゼキア、面倒見よさそうだしね。僕も助けてもらったし」
「……そろそろ飯にするか! お前も疲れてんだろ」
 照れているのだろうか、ゼキアは話を逸らそうとする。無理のありすぎる話題転換だったが――言われた瞬間に音を立てて自己主張した自分の腹に、ルアスは思わず赤面した。
「う……笑わないでよ、ゼキア!」
「いやいや、あんまりタイミングがよかったもんだからな……準備してくるから二階で待ってろよ」
 吹き出したゼキアに必死の抗議をするが、彼はひらひらと手を振りながら奥の台所に消えていった。それを見送ったルアスは少々釈然としないものが残りながらも、素直に二階へ向かうことにした――確かに色々と疲れていたのも事実だったのだ。
「なんか今日は色々あったなぁ」
 元居た場所から追い出され、ゴロツキに絡まれ、ゼキアに助けられ……とりあえず落ち着いたと思ったところでの掃除が一番予想外ではあったのだが。
「今日はゆっくり休ませてもらって、明日、ちゃんと考えよう……」
 兄妹たちの騒がしさで忘れかけていた不安が、再びルアスを襲う。それから逃げ出すように、ルアスは階段へと足をかけた。
「どこかに、僕の居場所はあるのかな」
 ため息と共に吐き出された小さな呟きは、ただ虚しく響いただけだった。

   ※

空は、既に橙に紫が混じり始めていた。街灯のない貧民街は夕暮れの空以上に夜の色へと近づいていて、幼い兄妹を暗闇に誘うようであった。
「お兄ちゃん、まって……!」
「ほらルピ! 早くしろよ!」
 入りくんだ路地を、慣れた調子でネルは駆けていた。その少し後ろをルピが必死の形相でついて行く。
「はーやーくー! 母さんカンカンだぞ、絶対!」
 外に出てみれば思っていたより日が傾いていて、気が急いた。一刻も早く帰らなければ。母がどんな顔をして待っているかは、想像に難くない。
「もー! お前怒られるのが嫌なだけなんじゃんか! “影”に食べられちゃうのとどっちがいいんだよっ!」
 ぐずぐずしている妹についに苛立ちが爆発した。大声を出したネルにルピは肩を震わせ、涙を浮かべた。
「……お兄ちゃんも、こわいよぉ……」
「あーもう、また泣く! わかったよ、悪かったから早く帰ろうって……」
 必死に宥めるが、ボロボロと涙を溢す妹は泣き止む気配がない。困り果てたネルは、ひとつの妥協案を出してみることにした。
「……西の広場に、珍しい花が咲いてたんだ」
「おはな……?」
「それを母さんにプレゼントしよう。そしたらあんまり怒られないかもしれないぞ」
 花の咲いていた場所は今いる所からそう遠くない。急げば日が落ちきる前に帰れる筈だ。
「そうかなぁ……?」
「そうだよ! 急いでいくぞ!」
 まだ鼻をすするルピを無理矢理に納得させ、家とは違う方向へ走り出した。その後ろ姿を見つめる、黒いざわめきには気づかないままに――。

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