Scar 6

 それから、暫しの時が過ぎた。てっきり冗談だろうと思っていたオルゼスの言葉だったが、驚くことに彼は本当に再びデルカ村を訪れたのである。件の出来事から数ヶ月経った頃だろうか。馬鹿のように丁寧な態度で、オルゼスはゼキアの両親に頭を下げた。なんでも王都には有名な学院があるらしく、そこで騎士になるための勉強をしないか、と。最初は両親――そしてゼキアも、その話を断ろうとした。こんな辺境の村の農家に、子供を学校に通わせられる金など無いのだ。しかしオルゼス曰わく、彼の推薦を受ければ学費は免除され奨学金も受けられるらしい。俄には信じがたい話だったが、語るオルゼスの表情は真剣そのものだった。そういうことならば、と両親の態度も徐々に軟化し、最終的な決定権はゼキアに委ねられたのである。
 悩んだ末、ゼキアはこれに頷いた。家族を残して王都へ行くことに後ろめたさはあったが、オルゼスの台詞に強く心を打たれてしまったのだ。騎士となり、自分が力を付ければ、村や家族を守ることにも繋がる。そうすれば、今までのような騎士や役人達の横暴も正せるだろう。強くそう言われ、この道を選ぶべきだと確信したのである。
 そうして王都へやって来たものの、ゼキアへの風当たりは厳しいものだった。学舎――マーシェル学院に所属する学生の殆どは貴族である中、貧しい身分であればそれだけで攻撃を受けた。当時の騎士団の副団長の推薦を受けているという事実も、尚のこと彼らの悪感情を増長させていた気がする。だが、簡単に折れてやる気などゼキアにはなかった。故郷のためにという思いと、貴族達への反発する感情を、全て勉学へと打つけ続けた。オルゼスの支援の下研鑽を重ね、村では見たこともなかった魔法も学び、それなり以上の成績を修めてきたのである。
 そして、ゼキアが十五になった年のこと。
「“影”討伐の遠征に?」
「ああ、お前も同行してもらおうと思う。丁度デルカ村も近い。ご両親にお前の成長した姿を見せてやれるかもしれんしな」
 オルゼスが学院の寮を訪れたのは、夕刻に差し掛かる頃のことだった。わざわざ庭園の隅の方へ呼び出すのは彼なりの配慮である。彼と話をする時は大抵この場所だった。ゼキアを快く思わない連中にわざわざ餌をやらないように、ということだ。
 決して暇な身ではないだろうに、オルゼスは度々ゼキアの元を訪れては他愛のない話をしていった。ただ、それを周囲の者は不正だ、えこひいきだと罵る者が一定数いるのである。当然のことながらそんなものは言い掛かりであり、不正行為など無しにゼキアの成績は実力だった。オルゼスは、知人としてゼキアを訪ねて来ているに過ぎない。積極的に言ったことは無いはずだが、オルゼスはその辺りの事情もよく把握していた。ゼキアの境遇を気遣っての訪問、という意味もあるのだろう。この程度で、という反骨精神はあるものの、正直なところこの心遣いは有り難かった。
 しかし、この日のオルゼスの用向きはいつもと違うものだった。
「……ということは?」
 オルゼスに告げられた内容を何度か反芻し、ゼキアは問い返した。そこから想像できることは、あまり多くはない。
「正式に学院を卒業する日も間近、ということだ。近い将来の同僚との顔合わせと思っておけ」
 微かに、オルゼスが口元を緩めたのが分かった。つられて、ゼキアの胸にも実感がじわじわと広がっていく。思わず叫び出したくなるような衝動をどうにか堪え、ゼキアは腹の辺りで小さく拳を握るに留めた。
 マーシェル学院には、決まった卒業というものがない。必修の課程はあるが、それを終えればいいというわけではないのだ。特定の試験を受け学院長の承認を受けるか、騎士なり文官なりの公職に抜擢されるか、である。後者の場合、顔見せなどの意味も込めて有望な学生が現場に連れ出されることも多かった。つまり、ゼキアは此方の方法で卒業することになりそうなのである。もっとも、その事実を知ったのは今が初めてだったが。これで今までの苦難も報われるというものだ。
「安心するのはまだ早いぞ。ある意味卒業試験のようなものなのだから」
「分かってるよ。せいぜい頑張るさ」
 ぞんざいな口調で応えながらも、ゼキアは改めて胸の内で決意を固めた。騎士となって、故郷の村や家族を助けられるようになる。そして、これは支援をし続けてくれたオルゼスへの恩返しでもあるのだ。
「是非ともそうしてくれ。それと、これは前祝いだ」
 オルゼスはゼキアの態度に軽く肩を竦めると、言下に何かを差し出した。布に包まれた、長い棒状の物だ。開けてみろ、と促され、ゼキアは言われるがままに布を剥ぎ取っていく。そうして姿を表したものに、ゼキアは目を見張った。
「……剣?」
 恐る恐る、ゼキアはそれを手に取った。ずっしりとした重みが腕にかかり、刃がその存在を主張する。訓練用の剣なら何度も触ったことがあったが、そんな量産品とは明らかに質が違う。金の細工が施された柄には大粒の赤い石が嵌め込まれ、発する気配からそれが魔法の触媒であることを感じ取ることが出来た。漆黒の鞘から抜き放たれた刀身は白々と光を放ち、鋭い切れ味を窺わせる。何より驚いたのは、初めて手にしたとは思えない程ゼキアの手に馴染んでいることだった。
「こんな物、貰っていいのか?」
 贅沢とは縁の遠い生活を送ってきたゼキアだったが、この剣が相当に上等品であることは理解できた。オルゼスが自分を気にかけてくれるのは嬉しいが、流石にこんな品を受け取るのは気が引けてしまう。それが顔にも出ていたのか、オルゼスはそんな遠慮を笑って受け流した。
「お前のための物だ、返されても困る。まぁ、今まで苦労した分と思えばそう高いものでもないだろう」
「……じゃあ、貰っとく」
 そんなもの、だろうか。そう思いながらも突き返すことは出来ず、ゼキアは素直に祝いの品を受け取ることにした。確かに、剣技と魔法の両方を扱うゼキアにはうってつけな品物である。魔法師が使うための剣などそうそう見かける物ではない。オルゼスは何も言わないが、間違いなくゼキアのために探すか作らせるかした物だろう。それだけ期待されている、ということか。ならば、応えないわけにはいくまい。
 だがひとつ不可解なのは、なぜオルゼスがそこまでしてくれるのかということである。学院に入ったのは彼の推薦だったとはいえ、由緒ある騎士が貧しい子供にそこまで入れ込む理由も無いはずだ。成績が悪くなれば推薦した人間の評価にも関わってくるが、オルゼスの場合それを気にしてゼキアを構っている風でもない。慈善活動にしては、少々過剰すぎる気がする。
「……有り難いけどさ、なんでオルゼスはそんなに俺に良くしてくれるんだ?」
 疑問をそのまま口にする。今回に限った話ではなく、彼は常にゼキアを支えてくれていた。彼の善意を疑ったことはないが、ただ純粋に不思議に思うのである。オルゼスはすぐには答えず、困ったように視線をさまよわせた。
「そう、だな。故郷から連れ出したからには、とことん面倒を見ようと思っていたのもあるが」
 そこで言葉を区切ると、オルゼスはふと遠くを見るように目を細めた。それは、ここにはいない誰かを見つめるような――そんな目だと、ゼキアは思った。
「……なんだか、息子が戻ってきたようでな。お前が懐いてくれるのが嬉しかったんだよ」
「息子? あんた子供がいたのか?」
 初めて知る事実に、ゼキアは驚き瞠目した。確かに彼の年齢や身分を考えればおかしい話ではないが、今まで子供の話などついぞ聞いたことがなかった。しかしオルゼスの表情を見れば、薄らとその理由を悟ることは出来る。
「いたんだよ。小さい頃に病で亡くしてしまったがな。生きていれば、丁度お前と同じくらいだ」
 概ね予想通りだった答えに、ゼキアは言葉を詰まらせた。どう返すか悩んだ挙げ句、そうか、とだけ小さく呟く。聞いたことがなかったというよりは、オルゼス自身が話すことを避けていたのかもしれない。
「お前が気に病むことじゃない。それに、もう何年も前の話だ」
「うわっ、何すんだよいきなり!」
 そんな気まずさを察してか、オルゼスは乱暴にゼキアの髪を掻き乱す。文句を言いながら見上げた視線が合えば、オルゼスは微かに口の端を持ち上げた。その顔に既に憂いの気配はなく、ひとまずはその言葉を信用して大丈夫なようだ。ゼキアとしてもオルゼスはもう一人の父のようなものである。息子のようだと言われて悪い気はしない。今、彼の心が穏やかなら、現状はそう悪いものでもないだろう。
「さぁ、私はそろそろ戻るとしよう。後はまた当日にな」
「……おう」
 乱れた髪を直しながら、ゼキアは頷いた。遠征ということは、オルゼスもその準備で忙しいのだろう。挨拶もそこそこに帰路に着く背中を見送り、ゼキアもまた自室へ戻る道を辿り始めた。贈られた剣に時折手を這わせ、来たる日に思いを馳せながら。

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