Scar 7

 数日後。マーシェル騎士団は国境付近の平野に駐屯地を構えていた。ゼキアの故郷であるデルカ村に程近い場所である。今回の任務の内容は、この近辺に発生する“影”の討伐だった。元より夜になればどこにでも現れる厄介者であるが、どうもその量が尋常では無いらしい。普段なら、明かりを持ち整備された街道を通っていればそれほど問題はない。しかし群れで襲い掛かって来られてはとても自衛しきれないと、騎士団の出番となったのである。
 そして、その駐屯地の天幕のひとつにゼキアはいた。
「お前が、例の学生か」
「はい。ゼキア・レードです。宜しくお願いします」
 慣れない敬語で挨拶をし、覚えたばかりの礼をとる。ゼキアが訪れていたのは、騎士団長が使用している天幕だった。他が使っている物より一回りは大きく、内装もやたらと華奢である。五人は横になれそうな程大きなベッド、美しい木目の椅子とテーブル。この辺りまでは、まだ理解できた。だが獣の剥製や色鮮やかなタペストリーなどは、明らかに遠征には不要な物ではなかろうか。それに加えて、眼前で足を組む団長本人の服装である。袖や襟にひらひらとした布がついた衣装に、指に輝くいくつもの宝石。定められている筈の騎士団の制服など、その面影すら見当たらなかった。同じような服がはみ出た衣装箱まである。
 ――自分は、貴族の道楽を見学に来ていたのだろうか。騎士団の遠征というのは、実は勘違いだったのかもしれない。傍らのオルゼスがいなければ、本当にそう思ってしまったかもしれない。
「オルゼスよ。こいつの面倒はお前に任せるぞ」
「承知しました」
 尊大な物言いの団長に、オルゼスは几帳面に低頭する。その様子が滑稽に見えて仕方がないのは、ひとえに二人の雰囲気の差が要因である。オルゼスがいかにも武人らしい頑強な体格であるのに対し、団長と呼ばれる人物はあまりに貧弱な体つきだった。齢を重ねた皮膚は弛み、筋肉がどこについているのかと首を傾げたくなる。ただ濁った瞳にだけは強い光が宿り、狡猾さとふてぶてしさが漲っていた。汚らしい無精髭を生やした口元には常に嫌らしい笑みが浮かべられ、ひとつも騎士らしくない。そんな人間にオルゼスが頭を下げるなど、何かがおかしいとしか思えなかった。
「ゼキア、とかいったか。お前この先の村の出身らしいな」
 それが顔に出ていたからかは分からないが、団長はじろりと視線をゼキアにやると溜め息をもらした。
「本来なら騎士団は、お前のような卑しい身分の者が所属出来るような組織ではない。だが、剣と魔法の両方を扱える人間は貴重だからな。せいぜい我らの益となるように努めよ」
「……はい」
 奥歯を噛み締め、ゼキアはようやくそれだけを返答した。そうだ、この組織は腐敗しきっているのだ。普段接しているオルゼスがまともなだけで、ろくな人間がいない。それは身を持って知っていたはずではないか。
 だか、それゆえに自分はここにいるのである。故郷を守るためなのだと己に言い聞かせ、ゼキアは煮えたぎる感情を腹の底へと押し込めた。
「……では団長、我々はこれで」
 オルゼスがそう切り出したことに、ゼキアは僅かに安堵した。堪えなければならないと解っていても、不快な思いをする時間は短いに越したことはないのだ。相手も特に引き止める気は無いらしく、片手で払いのけるような仕草で下がれ、と示しただけだった。そのまま天幕を後にするオルゼスに、ゼキアも続く。
「……あれが、団長?」
 しばらく歩いた後、人目を憚りつつもゼキアは囁いた。小声ながらも、嫌悪感だけはたっぷり込めて。
「何を言いたいのかは察するが、今は口を慎め。誰が聞いているか分からんぞ」
「この辺、偵察隊の天幕だろ。どこも出払ってる」
 流石にゼキアも、誰にでも聞こえる場所で発言するほど抜けてはいない。団長の天幕へ赴く際、偵察隊が出発するのを横目で見ていたのである。そんなゼキアの反論に、オルゼスは小さく肩を竦めた。
「目端が利くようで何よりだ。そうだ、彼がファビアン・カルジーン団長……古くから続く資産家の出でな。昔から拝金主義で有名だ。今の地位も、本人の実力ではないだろうな」
「ふーん。どうりで偉ぶってる割に貧弱そうだと思った」
 腐った上司の家名なぞに興味は無かったか、お陰であのなりには得心がいった。武功を上げることもなく金に物を言わせて成り上がったならば、ああいう騎士団長にもなるのだろう。ついでにその姿を見た時の印象も付け加えると、オルゼスは苦笑しながらも概ね同調してくれた。
「まぁ、本来ならあの席に似つかわしくないという点では同意だな」
「そう思ってんのによく頭下げるな……下っ端ならともかく、オルゼスは副団長なんだろ? もう少し意見とか出来るんじゃないのか?」
 浮かんだ疑問を、そのままオルゼスにぶつける。特に深く考えて発言したわけではなかったが、それを聞いた彼は答えに窮したかのように押し黙った。どうしたのかとゼキアが再び口を開く前に、オルゼスは深く息を吐く。
「……痛い所を突いてくれるな。そうしたいが、今の騎士団は実力より家名が尊ばれる社会だ。私は若い頃の武勲を陛下に買って頂いたが、貴族としての地位はあまり高い方ではないからな」
「そう、なのか?」
 問い返すゼキアに、オルゼスは小さく頷く。
「今も首の皮一枚で騎士団に居座っているようなものだ。逆らえばあっという間だろう……所詮は私も、臆病者にすぎんのだよ」
 自嘲するように、オルゼスは静かにそう締めくくった。彼のこんな表情は珍しい。厳しくも常に穏やかであるオルゼスがこうなのだから、貴族達の社会格差はゼキアが思う以上に厄介なのだろう。それでも彼のように真っ当な人物もいるのなら、救いもあろうとは思うのだが。
「……でも変えなきゃいけないとは思ってるんだろ。オルゼスが団長になったら、少しはましになるんじゃねぇの」
 拙いながらも、オルゼスに掛けるための言葉を探す。ここまで連れてきて、今更おいて気後れされても困るのだ。励ます、というには自分では力足らずだったかもしれないが、それでもオルゼスは微かに表情を和らげた。
「……だと、いいんだがな」
「そうじゃなきゃ俺は村に帰るぞ」
 ふんぞり返ってそう言うと、いつかと同じように力強く頭をかき回された。嫌、というわけではなかったが、ゼキアも今年成人である。そろそろ子供扱いは止めろと抗議しようとした、その時だった。
「――オルゼス様!」
 突然、その場に割って入るこえがあった。まだ年若い騎士が、息を切らしながら駆け寄ってくる。勿論ゼキアには見覚えのない人物であったが、装備を見ると偵察隊の一人のようだった。こんなに慌てて戻ってくるとは、偵察先で何かあったのだろうか。オルゼスの表情が引き締まる。
「何事だ」
「はっ。“影”の巣になっていると思われる森へ偵察へ向かったところ、奴らが予想より早く森を抜けて活動し始めているのを確認しました。目標は人が多く集まる場所――直近のデルカ村かと思われます」
 聞いた瞬間、ゼキアは全身から血の気が引いていくのが分かった。咄嗟に空を仰ぎ見る。時刻は夕暮れ、僅かに夜の兆しが見えつつあるが、普通なら“影”が活動し出すにはまだ早い。だが、強力な個体は光に多少の耐性があるとも聞いたことがある。小さな村だ。戦いの技術を持つ者など殆どいない。“影”の大群が押し寄せようものなら、どうなるか――。
「……冗談じゃねぇぞ」
 気付けば、声に出して呟いていた。猫を被るのも忘れて口調は完全に素に戻っていたが、相手の顔色を気にしている場合ではない。だがそれは偵察隊の騎士の方も同じなのか、ゼキアの態度に触れることもなく報告を続けた。
「団長閣下には既に報告しております。至急おいでになるようにとの仰せです。それと、学生――君もだ」
「俺?」
 まったく予想外の言葉に、ゼキアは疑問の声を上げた。緊急事態の招集に、なぜ学生ごときが呼び出されるのだろうか。それも団長直々に、だ。理解が追い付かないことと早く村へと駆けつけたい気持ちが重なり、苛立ちが急速に募っていく。
「承知した。すぐに向かおう」
 ゼキアの心境とは真逆に、オルゼスは至って冷静だった。騎士に伝言を預けて走らせると、ゼキアに向き直る。
「恐らくは掃討の指示だろう。お前一人で行っても結果は知れている。ここは大人しく騎士団に事を預けた方がいい……行くぞ」
 そう言うと、オルゼスは来た道を早足で戻り始めた。ゼキアの考えることなどお見通しらしい。自らの浅慮を指摘されたことに気まずさを覚えながらも、ゼキアもまた彼の背中に続き歩き出した。

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