Scar 8

「奴らに火をかける」
 オルゼスが口にした予想は正しく、ゼキア達を前にして開口一番に騎士団長――ファビアンは、“影”の群れに攻め込むことを告げた。
「それ自体が攻撃でもあるが、燃えて辺りが明るくなれば“影”共の動きも鈍って叩きやすかろう。なかなかに名案だとは思わんか?」
 上座で尊大に構えながら、どこか得意気にファビアンは続ける。オルゼスを含む部下らは黙して低頭するが、ゼキアは鼻で笑ってやりたい気分だった。“影”の特性を知っていれば、素人でも思いつきそうな内容である。あえて賛辞を贈る部分があるとすれば、ろくに戦ったことがなさそうな人間の考えにしてはまとも、という点だろうか。その程度のことを得意満面に話すのが騎士団の最高位のであるという事実が、非常に嘆かわしかった。それに、火をかけるにしても効果的な条件が揃っていなければ意味がない。彼がそこまで考えが回っているのかは怪しいものである。
「だが、生憎今は大規模な炎を使える魔法師がいない。火矢を使おうと思う」
 作戦の指示をしているはずなのに、動作も口調も随分と緩慢だ。それが余計にゼキアの苛立ちを増長させる。こうしている間にも、故郷が危ないというのに――。
 そう思いながら話を聞き流していると、突如ファビアンと視線がかち合った。こちらの態度に、勘付かれただろうか。緊張にゼキアは身を固くするが、投げかけられた言葉は全く予想外のものだった。
「――そこで、お前を呼んだ。矢に点けるための種火を作って貰おうと思ってな。炎の魔法を使うのだろう?」
「……はい?」
 無意識に語尾を跳ね上げてから周囲の視線に気付き、慌ててゼキアは口を閉ざした。全く、理解が追いつかない。なぜそれで自分に声が掛けられたのだろうか。
 魔法の炎を使う、というのは納得出来る。火矢は射る時に火を消さないための加工をする必要があるが、その点魔力の籠もった炎なら通常より消えにくい。のんびりもしていられない今の状況で、手間を省けるだけ省くのは当然だ。しかし疑問なのは、その役目をゼキアに振る意味である。仮にも“影”と戦うことを前提にした遠征で、魔法師が編成に組み込まれていないとは考えにくい。大群を焼くほどの魔力が無くとも、矢に点すための火種くらい作れる者はいるはずだ。わざわざ学生を呼び出して使う必要もないだろうに。
「どうした? 出来ないのか?」
 沈黙したゼキアに痺れを切らしたのか、ファビアンが答えを急かす。周囲の部下にも白い目で睨まれ、疑念を拭いきれないままにゼキアは頷いた。
「出来ます、が……」
「ならば、さっさとしろ」
 その言葉を合図に、脇に控えていた騎士がゼキアの前に松明を差し出した。これに点けろ、ということらしい。ちらりと松明を持つ男の顔を盗み見るが、仮面のような無表情から何も読みとることは出来なかった。有無を言わさぬ状況に、ゼキアは渋々松明に手をかざした。掌から流れ出た魔力は熱を持ち、瞬く間に煌々とした炎が松明に灯る。それを見たファビアンは満足そうに鼻を鳴らすと、準備を、と短く声を飛ばした。
「……団長、ひとつお尋ねしても宜しいですか」
 周りが慌ただしく動き始める中、ついにゼキアは上座の人物に疑問の声をぶつけた。窘めるようなオルゼスの視線に気が付かなかったわけではないが、聞かずにはいられなかった。腑に落ちないことが多すぎる。
「ほう、いいだろう。言ってみろ」
 咎められるかぞんざいにあしらわれるかと思っていたが、意外にもファビアンは鷹揚に頷いた。それどころか、上機嫌にさえ見える。薄ら寒いものを感じながらも、ゼキアは意を決して口を開いた。
「なぜ、俺が呼ばれたのですか。騎士団なら、魔法師くらい他にもいるでしょう。緊急時にわざわざ学生を使う必要性が解らないのですが」
「……これは。活躍の機会を与えてやって文句をつけられるとはなぁ」
 そう言いながらも、ファビアンはますます笑みを深めた。気味が悪い。この男は、何を考えているというのだろうか。
「……理解出来ないものに盲目に従うのは危険だと思っているだけです」
「そんなに知りたいか? そうだな、その方が面白いだろう」
 にやにやと顎を撫でながら、ファビアンは言う。面白い、とはあまりにも状況に似つかわしくない言葉である。このままではデルカ村が、ゼキアの故郷が襲われてしまう。人の命がかかっているというのに、面白いとは何事か。怒鳴りつけたくなる衝動をすんでのところで堪え、ゼキアはファビアンの次の台詞を待った。
「“影”どもを火で囲むのに、この辺りの平野はあまり条件は良くない。背の低い植物しかなくて燃える物が少ないからな。奴らの巣がある森の中なら良かったが、既にそこはもぬけの殻だからな。だから燃える物がある場所まで誘導するんだ」
 弾んだ声で、ファビアンは語る。全く質問の答えになっていない。だが、一応条件が悪いことは解っていたのか――そう感心する一方で、ゼキアは話の内容に引っかかりを覚えた。誘導するといっても、本能のまま人を襲おうとする化け物をどうするというのか。群ごと元いた森に戻すというのは不可能に近い。よほどの奇策でもあるのか、それとも。
「……まさか」
 考えるうちにとある可能性に行き当たり、ゼキアは掠れた声を上げた。一つだけ、効果的な条件を満たせる場所がある。最も簡単な方法だ。しかし普通ならそんな手段を選ぶはずがない。縋るような気持ちでゼキアは騎士団長の顔を見上げ――その口元に、下卑た微笑みが刻まれているのを見た。
「そうだ。“影”どもはデルカ村へ向かっている。丁度いいではないか。奴らが餌に夢中になっている間に村ごと焼き払えば掃討は容易い。……自分の炎で故郷が焼かれるのを眺めるとは、なかなか面白い見世物だなぁ?」
「――ふざけるな! 村の人達はどうなる!?」
 頭が、沸騰するかと思った。もう敬語など使っていられない。激情のままにゼキアは叫んだ。その様を見て、ファビアンはさも楽しそうに喉を鳴らす。
「仕方がないだろう。近くの街道や大規模な街を守るのに、あんなちっぽけな村一つで済むなら良いではないか。尊い人々の犠牲になれることを喜んで欲しいものだな」
「この、下衆が……!」
 いかれている。そう思った。貴族とは、皆こうなのか。騎士どころか、人間の風上にも置けないような屑だ。その屑に頭を下げるような連中も、この上なく愚かであるとしか言いようがない。どうしたらこんな腐敗しきった組織なるのだろう。
 こんな人間達に、まともな対話を望む方が間違っている。早くこの作戦を止めなくては。否、村に知らせにいく方がいいだろうか。そうすれば、少なくとも皆を避難させられる。一瞬の間に考えを纏め上げて駆け出そうとしたその時、ゼキアの腕を掴んだのはオルゼスだった。
「……離せっ!」
 咄嗟にその手を振り払おうとするが、彼の力には敵わなかった。落ち着け、と、鉄色の瞳が言外に告げる。
「閣下。お言葉ですが、その策では犠牲が多すぎます。精鋭で“影”を食い止め、先に村人を避難させるべきです。襲う相手がいなければ、奴らも巣に引き返すでしょう。そうすればいくらでも他の方法が取れます」
 ゼキアを制しながら、あくまで冷静にオルゼスは意見した。その声を聞き、ゼキアも少しだけ平静を取り戻す。彼なら、こんな支離滅裂な作戦を許しはしない筈だ。微かな期待を胸に、ゼキアもまたファビアンの顔色を窺う。
「……お前は私のやることに何かと口を挟むな、オルゼスよ。そんなに手柄を自分の物にしたいか?」
 小さく、舌打ちする音が響く。案の定、今し方とは打って変わりファビアンの機嫌は急降下したようだった。顔をしかめてオルゼスを睨むと、わざとらしいほど大きく息を吐く。その態度にも怯むことなく、オルゼスは反論した。
「そうではありません。守るべき対象の人々を囮に使うのは如何なものか、と申し上げているのです。それに彼らが犠牲になることは、ひいては国の損害に繋がります」
「その、国からの命令であるぞ。尊き血筋に犠牲が出る前に、早急に“影”を殲滅せよ国王陛下は仰せだ。そのための手段は問わないともな。ろくに税も納めぬ人間など家畜以下だろう。燃やしたところで何の問題がある。元より、王はこんな貧村の者共を国民とは認めてはいないのだから」
 荒々しい口調で、ファビアンは随分と横暴な理由を並べ立てた。税が払えないのは、ろくに国を統治も出来ない王自身のせいではないか。身勝手すぎる言い分に歯噛みしながら横目でオルゼスを見やると、彼もまた微かに顔を歪めていた。
「ですが――」
「くどい。身の程をわきまえろオルゼス。なんなら今すぐに伝令を走らせ、陛下に処罰のお伺いを立ててもいいのだぞ。……お前も、家族は大事だろう?」
 反論しようとしたオルゼスの言葉は、冷徹な声で遮られた。高圧的に、そして最後だけは囁きかけるように。
 オルゼスの視線が彷徨う。ファビアンから外され、足元へ落ち、そして傍らのゼキアへと。
「……オルゼス」
 戸惑いながらも彼の名を呼んだ自分は、きっと縋るような顔付きだっただろう。これから起こるかもしれない惨劇を回避するのは、ゼキアの力だけでは適わない。そして、オルゼスしか頼れる者はいなかった。思い出すのは、幼い日の記憶である。粗暴な振る舞いをする騎士から救い出し、彼は故郷を守らないかと手を差し伸べた。騎士団の現状を憂う彼ならば、きっと――。
 しかし、次の瞬間ゼキアは己の甘さを思い知らされることになった。
「……申し訳ありません。出過ぎた真似を致しました」
 オルゼスの瞳が再びファビアンを映す。彼は敬礼を取ると深々と頭を垂れ、そう詫びた。
 何が、起こったのだろう。
「ふん、解ったのならその餓鬼をどうにかしておけ。騒がれて作戦に支障が出ても面倒だ。故郷は、後で存分に眺めさせてやれ」
 言葉の意味が理解できないまま、ゼキアは呆然と立ち尽くした。オルゼスは、一体どういうつもりなのだろうか。このままでは村が焼かれてしまう。“影”に人々が襲われてしまう。なぜ、という言葉が無限に湧き出て、頭の中を蹂躙していく。何回答えを探しても、解らなかった――否、その答えを信じたくはなかった。
 オルゼスは、デルカ村を見殺しにする事を選んだのだ。
「どうして……」
 そんな一言を絞り出すのが、精一杯だった。半歩ほど前にいる彼の表情はよく見えない。命令を下す団長に、庇護してきたゼキアに、デルカ村の人々に、オルゼス何を思っているのだろうか。
 ふと、その身体が翻る。瞬間、鳩尾に激しい衝撃を感じた。予期していなかった痛みに、意識が遠のいていく。
「く、そ……」
 何かを訴えたくともそれは適わず、ゼキアの視界は暗転する。闇に飲み込まれる寸前に、掠れたオルゼスの声が聞こえた気がした――すまない、と。

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