犠牲 2

「イルファ、そうなの?」
「んー、何がだー?」
 当事者が陣取っている頭上に手を伸ばし、レイアが尋ねる。しかしイルファは生返事を返すばかりだった。話を聞いていないのか、それとも自覚がないのか。その両方、という線が一番濃厚である。様子を見ていたレニィが、呆れたように息を吐いた。
「まだ幼いから、理解してないのも仕方ないのね……どこまで思惑通りかは知らないけど、炎の王も大胆なことをしたものなの」
 レニィの言葉に、ユイスは低く呻いた。炎の王――イフェンは、なんでもないことのようにイルファをユイス達にあてがったが、この事態を見越していたのだろうか。だとすれば食えない人物、もとい精霊である。
「では、力は拮抗しているものと考えるとして。レニィが言っていた自然の均衡を乱すという点は、問題ないのか?」
 未だに信じ難いところはあるが、ひとまず自身の感情は切り離しユイスは尋ねた。精霊王と同等の存在というなら、レニィの言う危険も同様にあるのではないのだろうか。その問いに、彼女は肩を竦めて答えた。
「さっき塔でやりあってるじゃないの。まだ正式な王ではないから、影響は最低限で済むはずなの。あとはあんた達のやり方次第ね」
「……なるほどな」
 危険がないとは言えないが、塔で実践済みなら予測も出来る、ということだ。立ち回り次第で優位にも立てる。考え始めると、気が昂って震え出しそうだった。
「……少し話がずれたのね。あとは、時柱のことなの」
 急き立てられるような気持ちを静めたのは、続きを切り出したレニィだった。心なしか声が固い。前を行く彼女の表情をはっきりと見ることは出来なったが、明らかに緊張が滲んだ様子にユイスは背筋を正した。そう、もとはヴァルトとシルの話である。
「復讐、と彼らは言っていたな。時柱と関係があるのか?」
 時柱、と呼ばれていたものの姿を思い返す。薄緑の結晶――そしてその中に閉じ込められた少女。ノヴァ達の口振りでは結晶そのものが時柱にょうに聞こえたが、あれではまるで人柱だ。あの少女の生死すら定かではない。一体どういうことだというのか。一歩近づいたかと思うと、それ以上に分からない事柄が増えていく。ヴァルト達は事情を把握しているように見えたが、時柱と彼らに何の関係があるのだろう。
「なんとなく察してる部分もあるだろうけど、ヴァルト達の行動は時柱の仕組みに起因してるの。彼の娘がその時代の時柱に選ばれたから……私怨っていうのは、それのことでしょうね。『今』は移ろうもの。過去や未来と違って、その時代に生きる誰かが犠牲として選ばれる」
 ――そうして捧げられた人間が結晶と同化し、時間という世界の秩序を守ってきたのだ。そう語るレニィの言葉を、ユイスはどこか遠いもののように聞いていた。自分たちが生きる世界は、誰かの犠牲の上に成り立っていた。それが無くなってしまえば、人の世は滅びへと向かっていくのだ。ちょうど、気付かぬうちに人々の営みが蝕まれ始めていた、今日のように。
 頭の芯が痺れたように思考が止まる。それほどまでに世界が危ういものだなど、どうすれば考え付いただろう。これまで当然と受け止めてきた日々のなんと罪深いことか。ましてや、大陸を統べる血筋の者が何も知らずにいたなど、許される事ではない――耐えがたいほどの罪悪感が一気に肩にのしかかり、ユイスを押し潰す。驚きの言葉ひとつさえ、ユイスは口にすることが出来なった。クロック症候群の治療法を求めて行き着いたのは、あまりに酷な真実だった。
「……ノヴァとメネも時柱を名乗っていました。彼女達も人間なんでしょうか」
 声を詰まらせたユイスの代わりに語を継いだのはレイアだった。彼女の指摘にはっとする。人とも精霊ともつかぬ雰囲気を纏ったあの二人。彼女らもいつかの時代に選ばれた犠牲だというのなら、その奇妙な感覚も納得できる。しかし、レニィがその疑問に答えることはなかった。
「それを知ったところでどうにもならないし、必要だとしても私から話すことじゃないの。今は目の前のことに集中するのね」
 いっそ分かりやすいほどに、レニィは話をはぐらかした。真実を知っている、と告げているも同じである。だがレイアにとって、重要なのはそこではないようだった。
「では、継承者、というのは」
 強張った面持ちのレイアが、更に問い掛けを重ねる。その意味を理解して、ユイスは一気に血の気が引いていくのを感じた。継承者。ヴァルト達が幾度となく口にしていた言葉だ。疑問に思う暇もなかったが、時柱の真実の一端を知った今は、予想がついてしまう。外れていてくれ――そんな儚い祈りは、通じることはなった。
「……現代を司る時柱は代替わりする。その時代で最も精霊に近しい者が選ばれるの。いま結晶に閉じ込められている人間はもう限界が近いの。盗られる前から綻びも出てたみたいね。次の時柱を据えなければいけない。つまり、貴方を」
 ――そう告げたレニィの視線の先にいるのは、紛れもなくレイアだった。
 息が詰まる。何か言おうとして、結局ユイスは口を開くことが出来なかった。嘘だろう、と叫ばなかったのは、なけなしの理性が働いたのか、それともただ呆けていたのか。予想はできた。しかし受容がでたわけではない。世界の理に人間の情も理屈も通用しないだろう。それでもなぜ彼女がなのか、と思わずにいられなかった。
「なら、無理にヴァルト達を追う必要はないんじゃないでしょうか。私が時柱となれば、クロック症候群は収まるんでしょう?」
 自身のことだというのに、レイアは妙に落ち着いていた。表情こそ硬いままだが、ユイスよりよほど冷静だ。慌てた様子ひとつない。
「前の代の時柱と継承者がそろってはじめて引き継げる……らしいの。ノヴァとメネでなければ、詳しいことは分からないけど」
 提示された疑問に、レニィは静かに頭を振った。その反応に、そうですか、とレイアは静かに目を伏せる。
「……とにかく、ヴァルト達から時柱を取り戻さないことには始まらないな。他のことは、追々考えよう」
「それが得策なの」
 ようやく絞り出したユイスの言葉に、レニィも頷いた。無理矢理にでも前を向かなくてはいけない。でなければ誰も報われないのだと、己を奮い立たせる。
「ヴァルト達の居場所は分かるのか?」
 あえてレイアを振り返らず、レニィに声を掛ける。彼女は微かに眉根を寄せたが、何を言うでもなくただユイス答えを返した。
「……山脈に沿って更に北に遺跡があるのを知ってる? かつてへレス王国一の都だった場所なの。身を隠すならきっとそこなのね。彼らの心理的にも」
「そうか。町に戻ったら訊いてみるとしよう」
 そう告げると、ユイスは緩みかけていた歩調を速め先を急いだ。悩む時間があるなら行動せねばならない。個人的な感情は捨て置いてでも――それが、国のためであり、王族の務めだ。
 だがそれも現実から目を背けているだけなのだということには、気付かない振りをした。

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