人と精霊 3

「俺、昔ルーナに住んでたんだ」
 エルドと名乗った少年は、ユイス達と同じテーブルで麦粥を頬張りながら語り始めた。未だ湯気の立つそれはやはりかなり熱かったららしく、エルドは随分苦労した様子で嚥下する。
「もう何年も前だけど。たまたまイルファを見つけてビスケットやったら気に入ったみたいだったからさ。なんとなく、イルファの分も用意して会いに行くようになって」
「……なるほど」
 話題の中心であるイルファも、改めてエルドから貰ったクッキーを齧りつつ頷いていた。きちんと飲み込めるのか心配になるほど口にクッキーを詰め込む様子は、どこかエルドと似ている気がする。様々なことに得心がいって、ユイスは苦笑せざるを得なかった。それが後々ルーナの火事騒ぎに繋がるとはエルドとて思いもしなかっただろう。しかし、度々イルファの暴走を押し止めなくてはいけない身としては少々恨みがましい気分である。
「病気で親が死んで、爺さんと婆さんに引き取られることになってリエドに引っ越してきたんだ。まさかこんな所で再会するとは思ってなかったよ。お前変わんないなぁ」
「お前は急にでかくなったなー。人間が変わりすぎなんだー」
 軽口を叩きながらエルドはイルファをつつき、イルファもそれに反撃する。勿論嫌がっているわけではないのは明らかで、彼らの仲の良さが見て取れた。微笑ましい光景ではあるのだが、どこか違和感を覚えてしまうのはエルドの出で立ちや言動のせいだろうか。
「エルド、君はどこかの神殿で修行はしたのか?」
「いや、別に? 聖職者って柄じゃないし。親もその辺無頓着だったみたいでさ、特に困ることもなかったから。それに精霊なんて街中にたくさんいるようなものでもないだろ。イルファはまぁ、別だけど」
 エルドから返ってきたのはほぼ予想通りの答えだった。今年十五になったという彼はいかにも少年らしい壮健な体つきをしていて、肌は日に焼け、亜麻色の髪も大雑把に揃えたのがよく分かる。新緑の目は活気に溢れてせわしなく、あまり静謐さを尊ぶ神殿と縁があるようには見えなかった。
 強制、というわけではないが、エレメンティアの力を持つ人間の多くは神殿に属する。自覚しながらも街で過ごすエルドのような者は珍しかった。そのせいか、ごく自然にイルファと交流する姿が少し不思議に感じられるのだ。これだけ親密に精霊と接するだけの才が惜しくも感じられるが、彼が言うように日常生活で精霊と接する機会がそうあるわけでもない。レイアのようにやたら精霊に好かれる体質であれば困ることもあろうが、彼女は極めて特殊な例である。
「そういうことで俺はイルファと知り合いなんだけど、そっちは? 精霊連れて旅してる人なんて初めて見たよ」
 今度は肉の串焼きにかぶりつきながら、エルドは問い掛けた。彼の旺盛な食欲にある種の感動を覚えてながらも、ユイスは慎重に口を開く。
「私達はルーナの神殿に仕える者だ。クロック症候群について調べて回っている。イルファは……まぁ、奇妙な縁があってな。協力してくれているんだ」
「そうだぞー。おれにも色々事情があるんだー」
 流石に精霊王に云々のくだりについては言葉を濁し、事実と嘘の入り交じった説明をする。幸いイルファも適当に同調してくれたので、エルドも深く追及してくる事はなかった。単にそれ以上のことは関心が無かったのかもしれない。代わりに興味を示したのはユイス達の旅先についてだった。
「クロック症候群のことはよく分かんないけどさ、それだったら風の神殿行くの?」
「そのつもりだ。明日にでも」
 これについては特に隠す必要もないので素直に頷いた。しかし、エルドはユイスの反応に微かに顔をしかめる。
「明日ぁ? やめとけよ、神殿が山中なのは知ってるだろ。山に慣れてる奴ならともかく、あんた等そういう風には見えないし。ちゃんと巡礼集団に入れてもらった方がいいって」
「確かにそうだが……巡礼集団、というのは?」
 耳慣れない単語を聞き返す。エルドによれば、風の神殿への巡礼者は一旦リエドに留まり、ある程度人数が集まった上で町の案内人と共に山を登るのが通例らしい。その時にいくらか支払ってもらう案内料が、町の重要な収入源ともなっている。勿論それが巡礼集団に加わることを勧める理由の一つでもあるが、それ以上に安全面への配慮だった。慣れない者が単独で行動して、怪我人や遭難者が出た事例がかなりあるらしい。よほど土地勘があるなら話は別だが、参道だからといって甘く見ると痛い目に遭う。
「宿にも何人か巡礼ってお客さんいたし、一緒に行った方がいいよ。前の人達が戻ってきたら案内人引き継ぎして交代で出発だから」
「そう、なのか。前の巡礼集団は、いつ頃戻ってくる予定なんだ?」
 出来るだけ急ぎたいのだが、とは口にしなかったが、雰囲気で察したのだろう。エルドは更に眉間の皺を深めた、低く唸った。
「うーん、今回ちょっと遅れてるみたいなんだよ。多分、この前の雨で道が悪くなって足止め食らってるんだろうなぁ。まぁこれくらいは珍しいことじゃないし、そんなに待たないとは思うけど」
「……そうか」
 今度はユイスの方が唸る番だった。エルドの忠告はもっともである。道中で事故に遭おうものなら、クロック症候群どころではなくなってしまうかもしれない。だがユイス自身の残り時間が心許なかったし、時柱を持ち去った者が一つ所に留まってくれるとも限らないのだ。それを考えると、無茶を承知で山へ踏み込むべきかもしれない。精霊の力を借りながらなら進めないことはないだろう。その場合レイアの負担が大きくなってしまうが――。
「あの、さ」
 不意に、エルドの声で思考が遮られた。彼は何かを思案するように少し間を置き、改めて提案した。
「待てないって言うなら、俺が案内しようか?」
「君が?」
 思いがけない言葉を掛けられ、反射的にユイスは問い返していた。険しい道なら、案内人の仕事もそれなりに危険が伴うだろう。ユイス達より道には詳しいのだろうが、未だあどけなさの残る少年に任せていいものだろうか。
「あ、なんか疑ってるだろ。そっちの姉ちゃんはともかく、あんたは俺と歳変わらないだろ。なんか文句ある?」
「……いや、まぁ、そうなんだが」
 レイアと比べられて、改めて己の外見年齢を思い出す。確かに今の自分は、エルドと変わらないくらいの歳に見えるだろう。彼にしてみればそんなユイスに見下されたくはないのだ。しかし言うほどには怒っていなかったようで、エルドはすぐに口調を和らげた。
「大丈夫だよ、神殿にはよく行くから慣れてるんだ。何十人っていう集団ならともかく、あんた達だけなら身軽だし近道も出来るよ。急ぐんだろ? それに……」
 そう言いながら、エルドはイルファをつつく。
「久し振りにイルファとも話したいしな。なー?」
「おー? いいんじゃないかー?」
 相変わらずクッキーを齧りながら、イルファが応じた。といっても、話の内容の半分も分かっているか怪しいものである。
「ユイス様、私達だけで行くよりはいいんじゃないでしょうか。イルファのことも見ててもらえそうですし」
 控え目ながらレイアも同意する。彼女の言うことも確かである。エルドと一緒なら、イルファもあちこちに飛んでいくこともあるまい。
「……まぁ、断る理由もないか」
「よし、決まりだな! それじゃあ――」
 ユイスの呟きを聞き逃さず、エルドは意気揚々と明日の予定について語り始めた。その勢いに苦笑しつつも、ユイスは彼の話に耳を傾けた。いま少しの間、旅が賑やかなものとなりそうである。

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