Bright blue 2

 女性はルカと名乗った。腰ほどまである鮮やかな瑠璃色の髪をひとつに束ね、同じ色の瞳には凛とした輝きがあった。年頃の娘が好むような長いスカートではなく、ぴったりとした丈の短い上着にズボンという、動きやすさを重視した服に身を包んでいる。かといってそれは粗野な印象は与えず、彼女の溌剌とした表情とすらりとした体によく似合っていた。
「じゃあ、前にも絡まれたの?」
「うん……気をつけてはいたんだけど……」
 少々情けない気分になりながらルアスは答えた。あの後礼を言って別れようとしたルアスだったが、その言葉を遮るようにルカに引き止められ、一緒に歩くこととなった。なんだか危なっかしいから送っていく、というのがその理由である。女性に助けられた上に強い口調でそんなことを言われては、さすがに男としてため息のひとつも吐きたくなるというものだ。
「……今度、ゼキアに剣教えてもらおうかなぁ」
 つい溢してしまった内容はルカの耳にははっきりと入らなかったようで、不思議そうな顔で見返してきた。
「どうかした?」
「ううん、なんでも。それよりもうすぐ着くよ」
 辺りに広がるのは、ここ半月ほどですっかり見慣れた貧民街の風景である。次の角を曲がれば目的地だ。最初こそ戸惑いもしたが、住めば都とはよく言ったものである。埃っぽい空気も、舗装していないせいで歩く度にじゃりじゃりとした感触のする地面にも、すっかり馴染んでしまった。
 ふと、思う所があってルアスは隣を歩く女性を盗み見た。派手ではないが仕立ての良い服に、控え目ではあったが装飾品も身に付けている。どちらも貧民街で見掛けることはそう無い代物である。自分達のように明日の食事の心配をするような人間ではないことは明白だった。
 王都の人間はそこに住むものを除けば皆、貧民街を毛嫌いする。卑しい貧民街の人間は地面に這いつくばっているのがお似合いだ――そう言わんばかりの態度で接してくるのが常だ。面と向かって言われることもある。
 だがルカからは、そんな嫌悪感の片鱗すら感じる事はなかった。帰る場所が貧民街の奥と言っても、歩くうちに崩れかけた家に住み続ける人を見かけても、その顔が憎々しげに歪むことなど一度もなかったのだ。寧ろ痛ましいものを見るように、悲しみにも似た色の瞳を向けることもあった。
 その意味を正しく読み取ることは出来なかったが、あからさまな悪意が無いだけでもルアスは嬉しく思った。自身は元々貧民街の出身というわけではないが、世話になっている人や親しくなった人がそのように扱われるのは、やはり胸が痛むのだ。
「あぁ、あれかしら。ねぇルアス」
「あ……うん、そうだよ」
 思考を巡らせるうちに家に辿り着いていたらしい。視線を傾けて尋ねるルカに、ルアスは肯定の意味で頷いた。
「へぇ、なんか珍しいわね」
 みずぼらしい、とさえ言える赤い屋根の玄関先に立ち止まると、ルカは興味深そうにその建物を見渡した。勿論珍しいのは家が粗末であるという事実ではなく、石造りの建物が多い中で木造であるということと――ある一点のせいであった。
「お店……なのね。こんな場所に」
 ドアに下げられた看板を実に珍妙なものを見る目付きで眺めるルカに、ルアスは苦笑した。ボロボロの外観に、いかにも人が来ないであろう立地条件。ルアスとて初めは奇妙に感じたものである。彼女の反応は無理もない。
「ここが、貴方の家なの?」
「うん……正確には居候先だけど」
 居候、と看板から目を外さずにルカは小さく繰り返した。それがどうかしたのかと問い返そうとした時、ルカの口からあまりに予想外の言葉が続き、思わずルアスは目をしばたたかせた。
「なんか、騙されたりしてない……? 変なものでも扱ってるんじゃ」
 ――金に困っている者の中には、奴隷や薬物の違法売買に手を染めるものもいる。つまりルカは、そういった闇商売にルアスが巻き込まれ、不正な労働をさせられていることを心配しているのだ。でなければこんな場所に店など――そう言って眉根を下げてこちらを気遣うルカに、ルアスは慌てて首を振った。
「そんなことないよ! 滅多にお客さんなんて来なくて、ほとんどただの家だし……とにかく怪しくないから!」
 ルアスは唾を飛ばすほどの勢いで捲し立てた。店主が真っ当な人間であることは十分に知っているつもりだ。あのお人好しの青年が闇商売に向いているとは到底思えない。
「そうかしら……?」
 今ひとつ納得できない、といった様子で再び看板の文字を睨んだ。確かに何も知らない人物が見れば怪しく見えるのかも、という気はするが、かと言って恩人にあらぬ疑いをかけられたまま黙ってはいられない。なんとしても誤解を解くため、ルアスはひとつの提案をした。
「……じゃあ、中見て確かめてよ」
 少なくとも外面を眺めているだけよりは、怪しいものが置いていないことは判るはずだ。なにより、店主と話せば彼が実直な人間であることが伝わるだろう。
「そうね……じゃあお邪魔しようかしら」
 腑に落ちないながらも、ルカはその提案を受け入れる気になったらしい。彼女が勘違いしたまま暴走するような性格でなかったのは救いである。ひとまずは安堵の溜め息をつくと、ルアスは軋む扉に手をかけた。
「ゼキア、ただいま」
 ドアを開くのと同時に声をかけるが、応答は無かった。出掛ける前に二階で細々と作業をしていたので、もしかしたらそのまま籠っているのかもしれない。ルアスは階段に駆け寄ると、上の階に向かって声を張り上げた。
「ゼキアー! 帰ったよー!」
 今度はおーおかえりー、と気の抜けた返事が聞こえた。やはり上に居るらしい。
「……まぁ雑多すぎるけど、変なものはなさそう、かしら?」
 その間に店内を物色していたらしいルカが、手に持っていた木彫りの小箱を棚に戻しながら呟いた。
「ね、別に怪しくないでしょ?」
 少し前ならそれこそ怪しまれても仕方ないほどに混沌としていた店内であったが、今はルアスの尽力により随分と整頓されていた。どう考えても不要と思われるものは処分し、売り物はきちんと商品棚に置き、定期的に埃を払う。言葉にすれば簡単だが、結構な重労働であった。雑貨の横に塩が置いてあったりして商品に統一性はないし、壁際に本が積んであるなどごちゃごちゃした印象は拭えないが、以前より絶対にマシであると宣言できる。
 胸を張って応えたルアスであったが、ルカは肩を竦めて見せた。
「とりあえず、目に見える部分はね」
 疑念は完全に晴れたわけではないらしい。いったいどうすれば信用してもらえるのかと次の言葉を決めあぐねていると、ようやく階段から店主が姿を見せた。

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