光と影と 7

 結果として、ゼキア達はどうにか目的地に辿り着くことが出来た。何度か同じ道を往復することになったり、全く違う出口に行き着いたりもしたが、ルカの勘もそう悪くはなかったと思える程度には許容範囲内である。ただ、いたずらに時間を浪費してしまったことは確かであり、微かな苛立ちを覚えながらもひたすらにゼキア達は出口を目指した。
 流れる空気が変わった、と感じたのは、いい加減水路を歩くのにもうんざりし始めた頃のことである。地下に滞留した黴臭い空気ではなく、少し温い乾いた風。その感触に、ゼキアは歩く先の道へ目を凝らした。
「風……今度こそ出口だろうな」
「……多分」
 心なしか弱々しい口調でルカが応えるのは、一度見当違いの場所に出て方向修正を強いられたせいである。今と同じように風を感じていよいよかと外に出れば全く別の場所で、酷い肩透かしを食らったのだ。果たして、今度は大丈夫だろうか。
 出口はすぐ傍という所でゼキアは足を止め、外の様子を窺った。外はすっかり日が暮れ、街は漆黒に染まっている。その中に等間隔で道に配置された外灯が淡く周囲を照らし、人々を闇の脅威から遠ざけようとしていた。辺りの街並みを眺め、ゼキアは静かに息をついた――勝算の少ない賭も、たまにはしてみるものである。
「また、はずれ?」
「いいや、ようやくこのじめじめした道からおさらば出来そうだ」
 水路の外は、丁度マーシェル学院の裏に通じていた。斜め上に目を向ければ、闇夜に浮かぶ荘厳な姿を眺めることが出来た。水路から続く古びた階段を登れば、鉄柵に閉ざされた裏門がある。
 ルカにそれを告げると、彼女もまた疲労とも安堵とも取れる溜め息を零した。
「やっとね。行けそう?」
「ここからじゃよく見えねぇけど、門が解放されてるってことは無いだろうな。多分見張りもいるだろ」
「……まぁ、そうよねぇ」
 今回の件で、どれほどの学院の者が関わっているのかは定かではなかった。全員が共犯者かもしれないし、何も知らない人間が多いのかもしれない。だが、ゼキアがルカを助けた情報が既に伝播していてもおかしくはない。それによって増援が来ている可能性もある。学院に現れることも、相手にしてみれば予想通りという所だろう。警備が強化されていないわけがない。これから向かうのは敵の巣窟だ。
 それらをどうかいくぐるか悩みながらも、ゼキアは頭の片隅でちらりとルカの扱いについて考えた。これ以上連れ回すのは正直気が引ける。それはずっと胸の内に抱えてきた反発ゆえでもあったが、彼女の状態を考慮してのことだった。大きな怪我は無いとは言っても、随分な無茶をして追っ手から逃げ回り、更にはこの地下水路である。本人は決して口に出さないが、その顔には疲労が色濃く現れていた。今から殴り込みに行こうというなに、これでは足を引っ張りかねない。無闇に危険に晒すより、どこかに隠れていてもらうのが得策である気がした。
「念のために言うけど、置いていくとか言わないでよ。例の隠し扉、私がいないと入れないからね?」
 ルカがまるで思考を読んだかのようにゼキアの顔を覗き込み、ずい、と鼻先に何かを突きつけた。古びた、小さな銀の指輪だ。見覚えがある。以前、ルカが紛失して慌てて探し回り、自分とルアスの手で彼女に返されたものだ。つまり、これが鍵ということか。
「それだけ貸してくれればいいじゃねぇか」
「駄目よ、これ王族しか持っちゃいけないんだから」
 駄目、というよりは嫌、と聞こえた気がしたが、ルカはきっぱりとゼキアほ考えを拒絶した。じろり、と瑠璃色の瞳がゼキアを睨む。絶対について行く、とその視線が言外に告げていた。
「……行くぞ」
 どうあっても引く気はないらしいルカの説得を諦め、ゼキアは嘆息した。短く声を掛けると、朧気に照らす光から身を隠すようにして外へと足を踏み出した。ルカも黙ってそれに続く。
 人の往来の無い夜の街は、耳が痛くなるほど静かだった。聞こえるのは微かな衣擦れと風の音のみだ。息を潜め、素早く階段の中程まで移動すると学院を窺う。門前には、対のようにして立つ二人の男の姿があった。親衛隊の制服ではない。学院の守衛のようだ。
 これは不幸中の幸いかもしれない、とゼキアは思った。親衛隊に属する人間は腐っても武人だ。彼等を相手取るとなれば、丸腰のルカを庇いながら突破するのは難しかっただろう。とはいえ、今いる守衛二人も帯剣しているようだ。油断は出来ない。
 くい、と服の裾を引っ張られる感覚がした。どうやって行くのだ、とルカが目で問う。待て、というように手で示すと、ゼキアは辺りの外灯に狙いを定めた。脇の二つばかりをやれば大丈夫だろう。意識を集中し、そこに魔力を注ぎ込む。その瞬間、硝子が割れるような音と共に外灯が爆発した。燃える炎に周囲が橙色の光に照らされ、そして一瞬で無明の闇が訪れる。
「何だ……!?」
 守衛達が動揺した隙を見計らって、ゼキアは勢いよく飛び出した。大股で一気に距離を詰め、片方の男の首筋を打ち昏倒させる。
「何者だ――!」
 もう一人が色めき立って剣を抜く。しかし暗闇の中で振り回して狙いが定まる筈もなく、その斬撃は苦もなく躱すことが出来た。空振りして体勢を崩した相手を同じようにして意識を奪う。
「悪いな」
 口先だけの謝罪を述べつつ、ゼキアは守衛の服を探る。どちらかが門を開けるための鍵を持っている筈だ。賊のような行為に抵抗を覚えないでもなかったが、この際四の五の言ってはいられない。
「……ちょっと可哀想だけど、仕方ないわよね」
 守衛が倒れたのを見計らって合流したルカも、ゼキアの意図を察して守衛の服を検分し始める。外灯を壊してしまったため手元が見え辛く、中々に作業は難航した。目的の物を見つけたのは、ようやく暗さに目が慣れてきた頃である。
「あ、これかしら」
 守衛の腰あたりを探っていたルカが声を上げた。腰紐に鉄の輪を通して持ち歩いていたようだ。ちょうど手のひらに納まるほどの鉄製の鍵が、目の前に差し出される。ゼキアはそれを受け取ると、さっそく門扉を開けにかかった。手探りで鍵穴を見つけそこに差し込んで手首を捻る。
「よっ……と。これで当たりだったみたいだな」
 軋んだ音を立てながら鉄柵が開く。予想以上に響いた音量に慄きながらも、ゼキアルカは内側に身を滑り込ませた。柵の隙間から腕を回し、再び施錠する。門前に守衛が倒れていては意味を成さないだろうが、気休めである。
「で、問題の場所はどこなんだ」
 近くにあった小屋のような建物の陰に身を隠し、ゼキアは問い掛けた。建物はどうやら守衛の詰め所のようだった。先程の二人が使っていたのだろう。中の様子をを窺っても人の気配は無かったが、自然と声は囁くようなものとなった。
「ええと、正門はあっちだから……あそこね。裏側に隠し扉があったの」
 そろそろと表に顔をのぞかせながら、ルカは学舎の西を指した。ゼキアの記憶が正しければ、あれは魔法の研究施設だ。といっても主だった活動を行っているのは別の建物で、あちらは細々とした内容ばかりであまり目立たない場所だった。逆にそれが好都合だった、ということだろう。
「やっぱり、中にも警備はいるわね」
 辺りの様子を見たルカが呟く。身を隠しながら確認できた視界は広くなかったが、それでもいくつか守衛らしき人影が散見された。ルカが示した場所までの距離を考えると、先程のような強行突破は得策ではない。かといって死角を選んで進むのも厳しいだろう。連中がまとめて他のことに気を取られてくれれば話は別だが――。
 そこまで考えて、ゼキアはふとルカに渡したお守りの存在を思い出した。あれが使えれば、突破口も作り出せるかもしれない。
「おい、例のお守りまだ持ってるか?」
「え? 持ってるけど……」
 問い掛けながら、渋い顔で唸っているルカを小突く。困惑をあらわにしながらも、彼女は頷いた。
「ちょっと貸せ」
 差し出されたお守りを受け取ると、ゼキアはそれを注意深く観察した。込められた魔力を解放したお守りは黒く煤け、刻まれた模様の一部も焦げて分からなくなってしまっている。しかし逆に言えばそれ以外の大きな損傷はなく、元の形をなんとか保っていた。
 これなら、使えそうだ。そう判断を下すと、模様をなぞるようにして新たな魔力を木片に注いでいく。今回は細かい調整は必要ない。時差が発生すればそれでいい。
「それ、どうするの?」
 手早く作業を終えると、見計らったようにルカが疑問を口にした。答える代わりに、ゼキアは己の策を実行に移した。
「こうする」
 言下に、ゼキアはお守りを力一杯放り投げる。小さな木片は山なりに弧を描き、二、三棟ばかり離れた屋根に吸い込まれるように落ちていった。一拍の間を置いて辺りに爆発音が響き渡る。次いでそこを中心として黒煙が立ち上り、やがて煌々とした光が闇夜にちらつき始めた。突然の非常事態に、巡回していた守衛達が何事かと炎の元へと集いだす。野次馬と思しき学生や研究者がそれに続く。
「今のうちに向こうまで抜けるぞ」
 呆然と火事の方向を眺めるルカを急かし、ゼキアは小走りに建物の影から飛び出した。今なら警備の目もあちらに向いている。それにいくらか野次馬もでしゃばってくれたお陰で、出歩いていても先程よりは目立たない。
「……なんか貴方、やることがだんだん大胆になってきたわね」
「誰かさんを助けた時、親衛隊に目を付けられただろうしな。どうせ犯罪者扱いされるなら多少は気にしないことにしたんだよ」
 我に返って追い付いてきたルカの言葉に、ゼキアは投げやり気味に応えた。既に捕まれば投獄は免れないだろうし、時間を無駄にしない方法を選びたい。早くルアスを助けてやらなければ。
「ねぇ、怪我人とか出ない?」
「その辺りの加減はしてる。流石に人殺しにはなりたくないからな。ほら、さっさと行くぞ」
 それを聞いたルカはあからさまに安堵し、しっかりとした足取りでゼキアの後に続いた。火事の人だかりを遠目に見つつ庭園を抜け、研究施設へと近付いていく。後方から怒鳴るような声が聞こえた。さっさと戻れと、守衛が野次馬達を散らしているのだろう。それに追い立てられたかのように装い、駆け足で学舎の前を横切る。どうにか目的の場所に辿り着くと、すぐさま裏へと回り込んだ。
「ここよ」
 壁伝いに進んでいた足を止め、ルカが言った。ここ、と示された場所には一見何もないように見えたが、ルカはおもむろに何かを取り出し壁にそれをかざした。先程見せられた銀の指輪である。指輪の紋章が刻まれた部分と壁の一部が重なった瞬間、淡い光が揺らめき音もなく入口が開かれた。壁の方にも何か魔法の細工がしてあったのだろう。
「随分と凝った魔法だな」
「昔の王族が作らせたんですって。城にもあちこち残ってるらしいけど、私もこんな所にまであると思わなかったわね……行きましょう」
 説明もそこそこに、ルカは躊躇なく地下への階段へと足を踏み入れた。ゼキアもそれに続く。一度来ているのなら、ここは彼女に案内を任せてもいいだろう。警戒だけは怠らず、一段一段確実に下っていく。
 少ししてふと後ろを振り返ると、入口は何もなかったかのように塞がれていた。物質に魔力を込めて残すという原理はゼキアのお守りと似たようなものだが、それを更に高度な魔法として組み上げている。勝手に足元を照らし始めた明かりもそうだ。こんなものをあちこちに残しているとは、過去の王族はどれほどの魔法師を抱え込んでいたのだろう。
 状況が状況でなければ、どんな仕組みなのか調べてみたいくらいだ――そんなことを考えながら魔法の明かりを眺めていると、前を行くルカの歩みが止まった。
「この先。……まだ、ここに居ればいいけど」
 行き着いた扉の前で、微かな不安を滲ませながらルカが呟いた。
 詳細な話を訊くべく、まずは地下に捕らえられていた少女を救出する手筈であるが――既に自分達の手が届かない状態になっている可能性は充分あった。そもそも、ゼキア達は何一つとして確実な情報を持っていない。本当にルアスが学院にいるのかさえ不確かだ。だが、そんな情報にでも縋りつかなければ永久に手をこまねいているだけになってしまう。それだけは勘弁願いたかった。
 古めかしい木の扉は、特に抵抗することもなく道をあけた。繋がっていたのはやたらと物が散乱した小さな部屋だった。足の踏み場もない床を挟んで反対に、もう一つ同じような扉がある。件の少女は、この先のようだ。
「……俺が先に行く」
 敵地の真っ只中だ。扉を開けた途端、待ち伏せしていた兵に襲われるという事態も有り得る。丸腰のルカを先行させる気にはなれなかった。素直に彼女が下がったのを確認し、扉に手をかける。壁に張り付くようにしながら、ゼキアは慎重に向こう側を窺った。神経を研ぎ澄ませ、辺りの様子を探る。しかし、警戒していた敵の気配は全く感じられなかった。好都合ではあるが、これはこれで不気味ではある。
「大丈夫そうね。こっち」
 訝しむゼキアを差し置いて、敵影なしと自己判断したらしいルカが再び前へ出る。迂闊なことをするなと文句を言いたいところではあったが、揉めている場合ではない。仕方なしにゼキアも続いて部屋を出た。
 その先にあったのは、異様な場所だった。冷たく重々しい石壁が辺りを囲み、それを、くり貫いたような空間に格子が填められている。まさに牢獄と呼ぶに相応しい小さな部屋が、等間隔でいくつも並んでいた。かつての学び舎の地下にこんなものがあったとは、なんとも胸糞悪い話である。
「――いた!」
 ルカは迷うことなくそのうちの一つに近付き、声を上げた。手招きされて、ゼキアも牢の中を覗く。牢の隅に、闇に怯えるかのようにうずくまる影があった。僅かな光に照らされる髪は金、華奢な身体の、ルアスと同じ年頃の少女だ。
 ルカの声に、少女の方がぴくりと震えた。俯いていた双眸が、格子越しに此方の姿を捉える。
「エルシュ、だったわよね? 私のこと覚えてるかしら」
「――お姉さん、無事だったの!? ルアスが……!」
 驚きに目を見張り、何かを言いかけた唇が不意に止まった。戸惑ったような視線はルカを通り過ぎ、ゼキアに注がれる。それに気付いたルカが、横から注釈を入れた。
「大丈夫、味方だから。彼もルアスを助けに来たの」
「……ゼキアだ。よろしくな」
 それに付け加えるようにして名を告げると、エルシュという名らしい少女は躊躇いがちに頷いた。その様子を見るに、不安が完全に払拭されたわけではなさそうだ。もしかしたら元々が人見知りなせいなのかもしれないが、どちらにせよゆっくりと打ち解けるだけの時間はない。早急に彼女を解放しなければと、ゼキアは眼前の牢をつぶさに観察した。
「……脆そうだな」
 言いながら、ゼキアは牢の格子に触れた。これならあまり方法を考える必要はないかもしれない。填められている格子は木製で、経年のせいか地下の湿気で腐りかけているような箇所も見受けられた。鍵だけは鉄製の錠前が取り付けられていたが、この程度なら格子ごと壊すのは造作もない。中にいるのが非力な少女でなければ、とうに脱走していたことだろう。
 下がっていろ、と少女に短く告げる。言下にゼキアは鞘を払い、剣先を格子に向かって振り下ろした。軽い抵抗の後、格子はあっさりと刃に負けて破壊された。それを二、三度繰り返し、錠前の部分ごとへし折るような形で牢は開かれた。
「よし、出るぞ」
 しかしエルシュは小さく首を振るだけで、その場を動こうとしなかった。彼女が体勢を少し崩したのに合わせてじゃらり、と音が鳴る。それによって、ゼキア達は彼女が動けない理由を悟った。
「……こんなものまで」
 駆け寄って原因を見つけたルカが、苦々しく呟く。擦り傷だらけのか細い少女の足には、無骨な鉄枷によって拘束されていた。重々しい金属の輪から鎖が延び、末端は壁に打ち付けられている。全体にびっしり装飾的な模様が描かれているのは、作り主の悪趣味ゆえか――一瞬そう考えたものの、すぐに昔得た知識がゼキアの脳裏に浮かんだ。拘束具に必要な装飾、というものがある。否、正確にはこの模様は装飾ではないのだ。状況から考えても、考えられる物は一つしかない。
「魔力封じか……」
 ゼキアの言葉にエルシュは頷いた。ということは彼女もやはり魔法師かその見習いで、恐らくは非常に希な存在の一人である。
「一つ確認しておきたいんだが、お前も光の子なんだな?」
 殆ど確信を持っての問い掛けだ。予想通り、少女は首を縦に振る。シェイドという男の所業が、これで少しはっきりした。
「……魔力封じって、何?」
 理解が追いついていないらしいルカが、疑問の声を上げた。
「光の子は存在自体が貴重だからな、悪いこと考える奴なんていくらでもいるんだよ。人身売買だとか、光の子ばっかり集めて革命起こそうとした奴なんかもいたらしいな。まぁ光の子自体が優秀な魔法師なことが多いから、大概は失敗するんだが――」
 一度言葉を区切ると、ゼキアはエルシュを捉える足枷を示した。
「相手がこんなもん持ち出してこれるとなると、話が違ってくる。そうそうお目にかかれる代物じゃない。本当に国家ぐるみなんだな……」
 言いながら、ゼキアは鎖の上から剣を突き立てる。古く錆び付いた拘束具は呆気ないほど簡単に断ち切られた。描かれた幾何学模様が分断されるのと同時に鉄そのものもぼろぼろと形を無くしていき、後には砂のような残骸だけが残る。外部から力が加えられて、込められた魔法が効力を保てなくなったのだろう。
 魔力封じ、という呼称の通り、これは填められた者の魔法を使えなくなるように枷だ。魔法師は持ち得る力ゆえに徹底した倫理指導を施されるのが常だが、それでも道を踏み外す輩はいる。そういった中でも、特に危険で手の着けられない者に魔力封じが用いられると聞いた。枷自体に特定の条件下で発動する魔法が込められているらしい。
 しかし、完成させるために必要な技術も手間も尋常なものではない。物質に魔法を定着させるのはただでさえ面倒な作業である上、封じる相手以上の魔力がなくては意味がないのだ。国中から優秀な魔法師をかき集めても、一つ作るのに年単位で時間が掛かるという貴重な代物である。本来なら国によって厳重管理されている、筈なのだが。
「……その辺に転がってるものじゃない。それこそ王命か、それに準ずるくらいの人間じゃなければこんな所にあるわけがない、と」
「そういうことだ」
 これなら、光の子がろくに抵抗もできず捕らえられているのにも納得がいく。一通り説明を聞き終えると、ルカは深々と溜め息を吐いた。過去に繰り返し行われたという悪事への呆れか、身内の行いに思うことがあってのものか、その心境を推し量ることは出来なかった。代わって、今まで押し黙っていたエルシュが口を開く。
「お兄さんの話にあったのと少し似てる。私もお母さんと引き離されてむりやり連れてこられたの。でもルアスは殆どここで育ったようなものだから、シェイドを疑おうとしないの」
 たどたどしく語られた内容を聞いて、ゼキアは以前覚えた違和感の正体がようやく分かった気がした。ルアスと学院の話をする時の、どこか噛み合わない感覚。彼が学院にいたのは勉強していたのではなく、何らかの目的で騙され、養われていたというなら得心がいく。
「お前が、ルアスを逃がしたんだな」
「うん。それでここに閉じ込められたの」
 エルシュはやはり頷く。彼女が言うには、シェイドを始め学院で関わる人々は気味が悪いほど優しかったという。それがエルシュが計画の一端を知った瞬間、手のひらを返したように態度が変わった。辛うじて魔法でルアスを逃がしたものの、その後はずっと牢の中だったらしい。
 エルシュの話を聞いても、疑問は未だ多く残っていた。閉じ込められるまではどのような生活だったのか、ルアスはどう扱われていたのか、どうやってシェイドの企みに気付くことが出来たのか。しかし、それらを事細かに聞くより、先へ進む方が今は大事だとゼキアは判断した。とりあえずの目的は達したのだから、長居は無用である。
「いい加減、ここを出るぞ。あんまり悠長に構えてて足元すくわれるのは嫌だしな」
「……そうね。エルシュ、立てる?」
 ルカが差し伸べた手に捕まり、エルシュはゆっくりと立ち上がった。その足取りが存外しっかりしたものであることに安堵する。衰弱が酷いようなら、いかに彼女が光の子で貴重な情報源といえども連れ回すわけにはいかない。エルシュの身体は痩せ細ってはいたが特に怪我もなく、自らの足で歩くことに支障はなさそうだ。
「で、肝心のルアスの居場所だが……」
 ルカから伝え聞いている話では、エルシュもそこまでは知らないらしい。まずは目星だけでも付けなければ。しかし、予想に反してエルシュがある方向を指差した。
「――あっち。まだ下に降りる階段があるみたいなの」
 つられて、そちらに目を向ける。両側に牢が並ぶ通路の更に奥に、道が続いているようだった。元より暗がりの地下の中で、より深い闇が待ち受けているかのように。
「シェイドとよく話してた人が、奥に行くのをみたの。何か、分かるかも」
「……更に地下、か」
 地上から遠ざかるほど、日の光もまた薄れていく。深淵は“影”達の領分だ。いいように誘い込まれているようにも思えたが――他に行く道があるわけでもない。
「不気味だけど、行くしかないわね」
「引き返すなら今のうちだぞ」
 一応促してはみたが、ルカは軽く肩を竦めるばかりだった。好きにしろ、と溜め息を吐くと、不意に辺りが明るくなる。見れば、エルシュの手のひらの上に拳大の丸い光が輝いていた。以前、ルアスが作っていたものとよく似た明かりだ。
「これで、少しはいいかな」
「……上等だ」
 決して強くはないが、柔らかな光が身体を包んでくれるのが心強い。少し笑って頭を撫でてやると、エルシュはぎこちなくも微笑んだ。こうしてみると、年相応の可愛らしい少女だ。健気にルアスを助けようとする姿勢にも、淡い感情が見え隠れしている。彼女の持つ色彩も相俟って、二人が並べばさぞかし絵になるだろう。早く、その景色が見れるように力を尽くさねばなるまい。
「さて、行くか」
 ゼキアの呟きに残りの二人も頷き、更なる闇へと足を踏み出した。

コメント