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恋月想歌

恋月想歌 1

歌が、聞こえる。遠い異国の言葉で綴られたその旋律は、最近ではすっかり耳に馴染んでいた。声の主はテラスにいるはずだ。窓を開け一歩足を踏み出せば、ヒヤリとした夜の風が頬を撫でた。そして目に入るのは、愛しい人の後ろ姿。「そろそろ中に入りなさい。風...
千夜に降る雨

千夜に降る雨 8

夜が明けた。淡く差し込む光は、山を少しずつ明るく染め上げてゆく。 いつもと変わらない朝だった。しかし妙な胸騒ぎに、雷は苛ついていた。原因はわかっている。ちよの事だ。毎日山を登ってきていた逞しい彼女のことだ。昨日の帰り道だって大丈夫だろうと解...
千夜に降る雨

千夜に降る雨 7

夜の森は、静かなようで騒がしい。虫の鳴き声や、梟の羽ばたき。周りが静かな分、際立って聞こえた。雷は目を閉じ、それらの音に耳を傾けていた。雷は人と違って睡眠を取る必要はない。夜の森をこうやって過ごすのが好きだった。最近は昼間が騒がしいだけに、...
千夜に降る雨

千夜に降る雨 6

あれから五年程の月日が流れていた。村を襲った長い日照りも、ちよは以前から知っていた。だから少しずつ保存食を作り、備えていたのだ。母の弱った体は、食糧難に見舞われようものなら無事では済まない――ちよの願いは変わっていなかった。 しかし、母の容...
千夜に降る雨

千夜に降る雨 5

ゆっくりと、地の感触を確かめながら歩く。踏みつけた小枝がパキリと音を立てた。水分が抜けしなやかさを失ったそれは、いとも簡単に折れてしまった。時折吹く風は砂埃を舞い上げ、人々を痛めつけた。乾ききった土。申し訳程度に生えている雑草すら茶色く変色...
千夜に降る雨

千夜に降る雨 4

「ここのところ、もうずっと雨が降らないでしょ?そのせいでどこの村も不作なのよ。家畜も死んじゃうし、飲み水を確保するのもやっと……だから」 ちよは先程のにぎり飯を再び雷に押し付けた。「白米も貴重なの!有り難く食べなさいよね」 反射的に受け取っ...
千夜に降る雨

千夜に降る雨 3

その日、天青草を両手に抱えられるだけ抱えたちよは、深々と頭を下げ帰っていった……もう日が暮れるから、と半ば無理矢理麓近くまで送らせた分も含めて。天青草があれば彼女の母親の病気は治るらしいので、もうくることもないだろう。 翌日からは、いつも通...
千夜に降る雨

千夜に降る雨 2

古より、天狗が住んでいるとされる山があった。人々はその山を畏れ、敬い、聖域として滅多なことでは深く足を踏み入れることはなかった。 しかし、その山の奥深くにひとつの人影があった。密集した木々がまるでその場だけを避けるように少し開けた場所で、青...
千夜に降る雨

千夜に降る雨 1

季節は、秋に差し掛かろうとしていた。焦げ付くような日差しもすっかり弱まり、山は鮮やかに色づき始めていた。「おばあちゃん、おばあちゃん!」 今では珍しくなった日本家屋の床を蹴り、幼い少女が駆けていた。山中独特の冷たい空気をものともせず半袖一枚...
星紡ぎのティッカ

星紡ぎのティッカ 8

ティッカが星の塔へ戻って来たのは、翌朝のことである。といっても、記憶は酷く曖昧だった。森を歩いている途中から意識があやふやで、どうやって戻ってきたか殆ど覚えていないのである。気が付けば、自分の部屋でベッドに横たわっていた。塔の入り口で倒れて...